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2020-07-10 00:34:00

滅することを求める思想❣️

じつに「現代」に至るまでにも、多くの思想があるもんだなぁと思っています。

 

しかし結局のところ「お金」や「なんらかのこと」が思うように動かせるための思想が多いなぁということも同時に思うことです。

 

また「宇宙や人間がどうなっているか」といったものも多いように思います。

わたしもいくつかの思想に興味をもっています。

 

思想には「自己を安定させる」といった瞑想などもあるのですが、

 

結局「生活の問題」に戻ってしまうようです。

 

「自己啓発セミナー」なんかでも、その時はそのつもりになるけれど、

 

しばらくすると元に戻ってしまう。。

 

いわゆる「退転」するものが多いと思うのです。

 

また「おもてなし」や「モラル」というような思想においても、

 

日本基準の「思想由来」であり、相手がそれをどう受け取るかという問題ではなさそうです。

 

「名刺の渡し方」や「席順」などの決めごとにも同様の思想があると思いますが、

 

半ばその「セミナービジネス」の商品になってしまっているようです。

 

つまり「すべてに思想はある」はずなのに、その重要な部分が欠落して、

 

なんらかの利益になるという「不純なもの」だったり「形式だけのもの」になっているのが残念です。

 

現代では「思想」ということが特別なものになっていて、

 

日常のあたりまえのように思うことの由来に「思想」があることに目を向けていないことがほとんどなのでしょう。

 

そして「思想」を「煩悩的な内容を増長させるもの」として依存しようとする。

 

「思想の本質」を歪めているものも多いと思うのです。

 

またその思想を「ビジネス」にしていることが残念でもあります。

 

キモノだとかなんだとか「わかりやすい日本文化」は「ビジネス」においても「思想」を語りますが、、

これは「思想ビジネス」ではなく、「ビジネスにおける思想」を語るものです。

 

もし誰かが「お金儲けという思想」に生きるから「ひとをだまそうが、ひとを陥れようが、借金地獄に追い込もうが」なんでもやったらいいと思っているなら、それはミスだといえるでしょう。

 

また、そういう思想になれる人は「もはや人間」といっていいかどうか。。

 

人間種は、単独では存在し難いので「愛、慈悲心」があるようです。

 

以前触れましたが「赤ちゃんが泣く」のは「ひとを呼ぶこと」であり、

「赤ちゃんが笑う」のは、「ひとに愛されるため」であるように、、

 

人間種が「ひとり」で存在可能なら、「お金」すら必要ありませんから、、

「お金儲け主義者」こそ、「ひとを大事にしなければ」お金を運んでくるひとが周囲から「減っていく」ことでしょう。

 

あなたがもし、「自分の都合の良い状態を求める思想」を選ぶなら、同時に「ひとを大事にする思想」を持たなければ成り立たないと思うのです。

 

これが「仏教」でいう「他の利益が自己の利益」という「自利利他」の思想であり、これは外せないと思います。

 

親鸞さんは、究極のあり方は「他利利他」であり「自」が存在しない状態を究極として求められたようです。

 

これが「もっとも究極の楽」ということでしょう。

 

「自」が存在しない状態、つまり「自己を滅する」ということは、「自己は宇宙的自然のなかで〈そのいのちをわたしという認識〉をする人間種として生まれ」かつ、、

 

自己は自己のチカラ以上の「他力」によって生かされていることを「認識のメイン」に据えて生きることで、、

「宇宙の中で自己ならぬ自己」の「いのちがどういう思想で生きるべきか」という重要なことを教えられるのだと誘引されます。

 

そして「その与えられた思想」によって、「いのちが真の楽のなかで輝く」のでしょう。

 

そういう意味で、「他力によること」と「自然に与えられる場を生きるうえでの思想」は、

 

さらにあなたやわたしを「良きこと」へと導いてくれることでしょう。