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2020-07-17 23:12:00

出門せよ‼️

世親菩薩(天親菩薩)の浄土論は「入門と出門」が説かれている。

真宗であろうが浄土宗であろうが、この「出門」を死後の「利他」の話に置いているように思える。

 

しかし、現実的に「死んでからの話」に意味はない。

「死んだら成仏して利他の菩薩として化身してみんなを救う者になるんだよ」といえば綺麗な微笑ましいお話ではあるけれど、、

 

いまのわたし自身の問題に意味をなさない。

 

ご先祖が「そうやってわたしを助けてくださっているのです」といっても「具体的になにがどうなっているか不明」であり、、

 

かつまた「先祖供養(讃嘆供養)」こそ重要だという教えになってしまう。

 

浄土論を読んでも、その注釈である「曇鸞」の「浄土論註」を読んでも、「出門」は「行者であるわたし」のあり方であり、、

 

「出門」である以上「セクトを超えて利他ること」といえる。

 

この数年さまざまな教えや思想などに触れることにより、宗派のセクトにこだわる意味や理由は「どの宗派」においてもない。

 

と思っている。。