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2020-07-29 18:16:00
京都で「お茶漬けでも」って言われたら。。
問い
京都ではなぜ「お茶漬けでも」という遠回しな忠告をするのでしょうか?
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回答
この話をよく「京都人のいやらしさ」のように語られますが、京都は「みやこの文化」ですから、「相手に迷惑をかけない」「相手に気を使う」「相手との程よい距離感」を大事にしてきているのです。
つまり「現代のような文化」が早くからあったということです。
たとえば「相手の家にいくとき」には「早すぎて相手が受け入れの準備ができていないかもしれない」「遅いと迷惑になる」という意味で「2分前ぐらいに伺う」とか、
極端な事例で言えば「となりのお家の事情」を考えて、「掃除は自分の家の前だけする」というのも「いやらしさ」ではないわけです。
なんらかの事情であえて掃除をしていないのかもしれないということも考えられるからです。
また、プライバシーを考えて「互いに土足で乗り込むようなこと」をしない。けれど、疎遠ではないことを伝えるために「お茶漬けでも」という挨拶があるのです。
京都で、ほんとうの京都の文化を学ぶと「プライバシーの尊重」だとか「迷惑をかけない」といった「みやこの文化」があることがわかります。
観光だけではわからないことです。
決して「遠回し」ではないのです。