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2020-08-20 19:37:00

信楽峻麿教授❣️

たぶん「真宗僧侶の多くが、真宗が難しいと思っていても何故かわからず、布教使などに尋ねても意味不明な理由」かつ「いえない」こと。。

 

【信楽峻麿教授】(昭和末期の龍大の教授)のことから。。

 

わたしも信楽先生の研究室で学んだことがあります。

信心につき「初門位」「究竟位」とされていて、なんの疑問も浮かばなかったのは「現実論」だからです。

「信楽先生流の真俗一体論」も納得でした!

 

あたり前のようにいわれる「賜りたる信心」なんて「ロジック、レトリックが意外」なだけで、現実的に無意味であり意味不明です。

 

わたしは「バカな教学を変革するため」にも「勧学になるため」に得業をとり、安居顕席を「4回」しました。

 

そのなかで同じように「阿弥陀さんという人格を信じているひとがこのなかにいますか?」とある和上に聞いて、「あなたは聴聞が足りませんね、安心論題をもっと学びなさい」といわれ、

輔教のひとに「「決定要期」なんていうのを喜んでいますか?と聞いて、、

「喜ぶべきを喜べない」と歎異抄にあるでしょ!と言われ、、

あ〜つまり「喜んでないのね」って思い、真宗の救いを「現当ニ益」以外で定義を許されないんや。。と思い。。

 

「出会う前から救われていた」って、こんな「救われた感もなく、なんの自己変革もなく、わたしのなにがどう救われているかというリアリティのない名号独用、逃げるものを捕まえてでも救う」なんて「スピリチュアルが入り混じったよがり」でしかない。。

 

事実「宗教に興味のない、若い一般人に直でこの教義を話す」と「???」「幽霊みたいに南無阿弥陀仏っていう字が浮遊してるん?」「逃げてるのに捕まえるって、ストーカーやん」「どう救われたいかってみんな違っていいんと違いますか?」といった回答が返ってきます。

 

とにかく安居でバカな問答で自己満足に浸っている「輔教」などの姿勢に「ただの自己満足の潰し合いだ」と思い、アホらしくてそれ以後行っていません。

 

時々「安居ってどんなものですか?」という僧侶に「じゃあ見学しに行こうか」といって、一緒に行くと「講義」と「会読(問答)」をちょこっと見たら「もう帰りましょう」というひとが100%です。

 

「行」にしろ唯識からいっても、認識する人間があってこそ成立するものであり、目標とする「さとり」に誘導するために、つまり「人間のため」に阿弥陀は存在し得るのに、阿弥陀さんの方が人間より偉いといった「お上(おかみ)目線」で阿弥陀を語るのは、「江戸封建制度」そのもの、、

 

「将軍様がアメリカから守ってくださっている」というノースコリアとなにも変わらない「全体主義的カルト」でしかないことを早く変革しなければ、もはや「やる気のないテキトーな住職や布教使」がどんどんお寺を潰して行くことでしょう。(現にそうなっています)

 

わたしも同じように「信楽先生」には違和感もなく、研究室で2年ぐらいでしょうか、、学びましたが、「現実論」でしたから納得していました。

 

ただ「潰れゆく石泉」に学んだのが先だったということで、「石泉」の存在を広めるために、このことには触れずに記述してきたんです。。

 

「蓮如の真宗か、親鸞の真宗か」という本が出ましたが、まずはこれを読んでみたらいいでしょう!

 

                          異端者 中神