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2020-08-20 21:04:00
最期の石泉‼️
【最期の石泉学派】
石泉の「大江先生から灘本先生」の流れにおいて、「行は称名か名号か」ではなくて、
あくまでも「称無碍光如来名」という五念門の「讃嘆門」に由来していて、これが「諸仏の称名讃嘆」を根拠としていて、五果門の「大会衆」(多くの人が集まる)という利他になるという解釈になっているようで、
石泉といえば「行は称名」という単純な解釈から、あくまでも「浄土論」の「世尊我一心」の「帰命尽十方無碍光如来」をすわりとして、五念門五果門に広がるという解釈に転じられました。
この通り、親鸞聖人において、善導さんの「五正行」から、天親曇鸞の「五念門五果門」の入出二門が中心になっています。
つまり「大行」は讃嘆門(広讃、略讃)を中心にした「利他を行じること」と理解できて、「自然の法」を生きることとなります。
これが「石泉最期の勧学さん」の解釈です。
わけのわからない「真宗には行はありません」なんていう無意味な教えではないという「簡単かつ真の菩薩行者になる教え」なのに。。