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2020-08-20 22:36:00

「行じる」って?

「行じる」とは。。

 

「無私の心で智慧のまなこで、一切を観るようにして、呻く(うめく)いのちに親友のような対等目線で慈悲を施すこと」

 

言い換えると、、

 

「無私の自己と相手が教えにより高次元に導かれていくための自然の慈悲行為」これを繰り返すことで自他が「一如(和合)の高次元に向かう」ということで、

 

その高次元の教えが「阿弥陀モデル」の「すべてを摂取不捨」するものであり、自他が阿弥陀になって行く意思と行為ということだと「法蔵菩薩のストーリー」が教えているのです。

 

事例)

 

「あいつがこういったから、こう言い返した」は、

→←の直線(1次元)

 

そこで「相手の気持ちや背景を見てみましょう」と横から見ると、

相手は「仕事などのストレスで言い方がキツくなってるのではないか」という、

2次元になる。

 

そして「相手の背景と自分の背景」を考えてみると、

「わたしもいろいろあって過敏になっているなぁ」と俯瞰すれば、

3次元になる。。

 

このような観察が仏の目線を学ぶことで「他利利他」の四十八願モデルを生きることにある。

 

これが「(法蔵)菩薩の行に定義された五念門五果門」になります。

 

 

すべてにおいて自が無い「他力(縁力)」だと「自然法爾」に近づいて行く「無私の智慧慈悲心がより高次元になって自行が化他」になる「和合」を目指す意思と行為に「いのち」が生きること!

 

といえます。