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2020-08-26 23:55:00
余りの教え?
【信心正因称名報恩のミス】
教行証文類を読めば、「行文類」において、信力は「増上」とあり「諸仏の讃嘆から起こる増上縁」と定義されていて、因ではありません。
親鸞さんが「倶舎」を学んでいればわかります(もちろん学んでおられます)が、
増上縁に相応する因は「能作因」になり、これは「なにもしない因」になり、「果」は「増上果」を引きます。
そういう点で「能入」と言われるのは「讃嘆を受けて」能作因になって「讃嘆に能作」(疑蓋無雑)になることですから、「信心が因にはならない」のです。
「信心正因」は信心が諸仏の讃嘆という無為法である以上「無為法は因にならない原則」に反しています。
そういう意味で善巧方便を解釈している「信文類」に「体がない(出体釈がない)」のです。
浄土論(註)においても「三不信」がメインです。
そういうところから「信心正因、称名〇〇」という説自体が、仏教の基礎を無視しているので、蓮如さん由来になります。
いつから「仏教学」を「余乗」として無視した教学になったのでしょう。。
親鸞さんは、基礎学は当たり前前提で「教行証文類」を記述されているというのは、あくまでも「専門書」だからです。
和讃は「讃嘆の書」!
御消息は「対機説法」の書!
その他は「部分的思考」の書!
といえるでしょう。