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2020-09-06 03:54:00

ニセモノさえ摂取する❣️

教行証文類の化身土文類をよんでいくうちに、

「廃立」ではなく「摂取」だとわかりました。

 

人間の機根には「占いなどをこえられないひともいる」

つまり19、20願と同じで「自我行」「自我執」を超えられないひとに、

「にせもの」だと教えつつ、

 

とはいえ、そこを超えられないひとをも「(法蔵)菩薩」は摂取する。。

とラストに結んであります。

 

そういう機根、資質のひとは「空華から抜けられない人のようにいる」けれど、

菩薩を行じるものは「そのようなひとを理解して受け入れる」

という前提がなければ「無碍光如来」の甲斐がありません。

 

わたしが法蔵菩薩道を歩むにあたり、なぜ超えられないのかと智慧をもって、

慈悲心のなかで関わるということです!

 

親鸞さんは「対機根」を考えて、おられるということです!

だから「和讃」でも「悲嘆」という「なげき」であっても、排除の論理ではないのです。

 

真宗僧侶がいかなる法を説いても、多くの布教使は「法礼目当ての資本主義の法」を説いているのです‼️