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2020-09-12 23:59:00
読み手によって文章はより真実を語る!
仏教経典は「どうにでも理解できる」と思われる「記述」が多いため、親鸞は「読み換え」ができたのです。
「至心回向」を「至心に回向して」を「至心に回向したまへり」と「至心を回向する」から「至心が回向されている」という主語を「わたし」から「如来」に180度換えられたのです。
そこで、より次元の高い解釈が生まれたのです。
阿弥陀経に「西方世界有《無量寿仏》。。」とあるこの「無量寿仏は阿弥陀如来かどうか?」という議論がありますが、これも「別とも同じ」ともいえます。
キリスト教でも、「聖書」は「神のことば」とするか「あくまでも神のことばを預かった者(預言者)のことば」とするかによって、扱いが変わります。
いずれにせよ、どう読むほうが「次元が上がるのか」という観点で解釈すべきであると言えるため、解釈が「正しいかどうか」という読み方よりも「より高次元かどうか」という方が適切な読み方といえます。