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2020-10-24 05:10:00

神智学‼️

人間が認識していることはすべて幻想である。

 

真実などないというパラドックスに真実はあり、

そこに神智学のいう神がある。

 

人間の認識が幻想ならば、神という幻想を真実として認識する。

そしてその幻想である神は「神が作った幻想」である。

 

そこに真実を真実として見据えていくところに「神智学」の教える奥深さがある。

 

ここにおいて「仏」も「真実の神」が幻想として認識させている真実であると「仏教徒」はいいたい。

 

近代になって神智学を失った者たちが「神の実存」を人間の認識やイデアなどという観点から認識しようとするから、、

 

「神はいない」という存在が問題になってしまうのである。

 

ある意味唯物史観である。

 

 

神智を学ぶということは、「幻想という人間の認識の根源」に幻想の神という「真実の神が在る」という前提が必須である。

 

近世の哲学者などがミスったのは、人間の認識によって神を理解しようとしたことであり、現代の宗教者においても、神の存在証明ができないという「浅い思索」から神を理解しようとしていることである。

 

「神がいるかいないのか」という問題を幻想的認識しかできない人間が論じるには、あまりにマクロにおいてもミクロにおいても無理がある「ということに目覚めたもの」こそが、、

自らの見識の狭さを知り、「神ないしはそれに準ずるところ」に謙虚をもって、神智を学ぶという姿勢が生まれるのである。

 

物理学においても、なかなか「相対性理論や量子論」の11次元を超えられない、アインシュタインですら、神への畏敬の念を持っていたということが意味するところでもある。

 

つまり宇宙や地球や生命体そのものを研究できても、それらがそもそもどこからきたのかをまず「真の意味で理解していない」という、思考の順序を間違えているからである。

 

神智学の奥義には、そこが明確なのであるが、これは「秘密」として現代も守られているため、内容を知る人は少ない。