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2020-12-21 04:22:00
戒律‼️
【戒律について】
戒律はなぜあるのか?
戒律の論なんての研究は山ほどの論文がある。
ただ、わたしは「仏教の戒律」は、
キリスト教などのように「守らなければ天国へいけない」といった性質のものではないのに、それを混同すると「守らねば悟りという特殊な存在になれない」という考え方になって、戒律を守らねば、そもそもの「Buddha(真理に目覚めた者)」になれないという解釈になってしまう過失をおかしてしまうように思う。
もと仏教の出発点である「苦悩を除く教え」「苦を抜き楽を与える教え」とかけ離れたものになるだろう。
だから「仏教は難しいもの」と思われたり、架空の仏を拝むものと思われて来たのだろう。
それは、いつからか仏教は「苦悩を除く教え」だと思われなくなって、権威や先祖崇拝のものだと社会に定義づけられて、、
「いま現実的に救われている人が激減した」ことが現代のひとに「仏教離れ」をさせているのだろう。
「仏教に救われました!」という人がどれだけいるのだろう。
もとい「仏教の戒律はトラブルの発生や和合の崩壊を防ぐためにあって」それ以上でも以下でもないといっていいだろう。
なぜなら「盗みを禁ずること」は十戒にもあるけれど、そもそも仏教は「所有の思い」を捨てることが「救いのポイント」である。
そういう意味で、「だれかのものという所有」はあり得ない。
しかし俗世においては存在する「所有者」から盗むことは、トラブルを生むことになる。
そういう観点から「戒律」がある。
また、親鸞さんが「戒律は末法の世の中で守ることは難しい」と説かれたからといって、「なんでもあり」ではない。
「真宗には戒律はありません」といって「飲酒」や「姦淫」などにふける「真宗行者」はまったくもって、どうここうもシャーナイと思う。
真宗のひとは、あまり戒律を意識しないけれど、法蔵菩薩道を歩むことが「無戒の戒律を生きる」ことなのだから、真宗においてももう少しぐらいは「戒律を学ぶ」方が良いと思うのである。