インフォメーション(日々更新中)

2020-12-22 21:27:00

わたしの生命は。。

わたしのいのちは「真如」から預かって、増上縁(助けるエネルギー)のなかで、生命の本願を知る。

すなわちわたしという自我は存在しない。

だから、「コロナ」だろうがなんだろうがなんだろうが、生命の本願に生きる。

たとえ同じところをぐるぐる回っているように思っても、

螺旋階段を登っているのだから、前進をしている。

 

宿業(カルマ)に迷うものは、生命の本願を生きていないという証明であるから、本願を見つめるために観察という行がある。

 

時間は「過去法」に応じた「未来法」が現映するので、

「現在法」という一刹那に於いて、取捨する生命の本願を知っていくように、眼前に起こっている事実から観察する。

 

すると「宇宙的なエネルギーが増上縁として推進してくれる」から、

自己の思慮や意思や判断によらず、本願によれ!

 

わたしのいのちは我が物にあらず!

 

これが真宗から得たわたしのいのちのありようです。

だから、わたしの生命は「コロナ如き」に負けません!

 

障りになることもないし、常に冷静です。