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2020-12-25 21:52:00
いまなすべきことこれなり‼️
時代は大変化を遂げようとしています。
では、私たちはどうしたらいいのでしょう。
ーーー(あるひと曰く)
まずは「人間」として、「救われること」よりも「救うことを考え実行するもの」になることである。
「菩薩を行じ、情に流されることと情に畏れをなすことなく、いのちを菩薩の叡智と慈愛に乗せよ!」
「救いを行じることで救われる」のである。
どうすれば「菩薩を行じること」ができるか?
それこそが「法蔵菩薩の願いは全生命の願いである」から、
「法蔵菩薩を行じる」のである。
じつは「どのいのち」も搾取することやされることを望んではいない。
それは、「Holy Bible(聖書)」も同じである。
「神は裁くことより、無償の愛を生きることを求められている」とイエスを通して伝えられた。
「仏は無我なる智慧と慈悲を教えられた」
「これは単なる情的な行為や思考ではない」
清浄なる心で思惟してこそ、あなたの命も「歓喜する」のである。
「思惟して摂取する」
「相手のいのちの求める愛を、思考して施す」
ことである。
地球の生命は「長い間」チカラと情によって支配されてきた!
いまや「権力や闘争」そして「持てる事」を愚かに見える時代になったのである。
「持つものは施し、持たざるものが施されるのは自明である」
「慈悲を持つものは、慈悲を施し」「資本を持つものは、それらを施せ」「チカラを持つものは良きことに使え!」
それは「有形無形を問わず」生命の本願による!
これらを「所有してもいのちは喜ばない」ことを、全ての人間は知っている。
「所有はゴミを生む」「ゴミは環境を汚す」
「散々その愚かさを見てきた現代人よ、いまこそ不要なものは作らず、いのちの求める愛を生きよ」
「阿弥陀」というは、「全生命のこと」なり。
「如来」というは、「思惟して摂取すること」なり。
「南無」というは、「全生命の本願を生きること」なり。
いま、自然の理が裁きから慈愛へと人間を誘っている‼️