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2021-02-18 00:23:00
あなたと彼のかたへ贈る‼️
仏教的ではないかも知れないが、
「あなたやわたし」という主体的な認識に於いては、
生まれ出るまで、宇宙も他人もなかった。
けれど「あなたやわたし」が生まれて、
宇宙だの他人だの、そして「いのち」が「一気に誕生」したのである。
もちろん「あらゆる存在」も。。
あなたが「そのひと」に会うまで、そのひとは居なかった。
また「親も子も」なかった。
しかし、あなたが生まれて「一切」が生まれ、
いろんなものごとがスタートを始めた。。
見つけるまでは、あなたにとってはいなかった「そのひと」と生きることになった。
そして互いにいろんなことを乗り越えてきた。。
そして、互いに年齢分、少しずつあるいは大きく変化をしてきているけれど、
関係は「永遠」である。
このように「いのちはいったん生まれると永遠の存在」になる。
あなたにとっての、そのひとのいのちも永遠のものになった。
これを「無量寿」というのだろう。
あらゆるいのちと、そして「ともに生きてきたいのち」。。
時空を超えて、これらは「量も長さも無量寿」だということなのだろう。
なぜ「अमिताभ、Amitābha(無量光如来)」ではなく、
「अमितायुस् Amitāyus(無量寿如来)」なのか。
なぜ「無量寿経」なのか。。
わたしは長くこのことを尋ねてきた。。
それがいまわかったように思う。
「いのちは生まれてはじめてスタートなのだと。。」
それは人間は「死ぬ」と言っているひとにはわからない、
終わりのない「真如」そのものなのだと。。
真如のいのちは「増減はない」。。
人間の五感は、たかだか「レインボーの可視光線」しか見えないし、
耳も「2キロから2万ヘルツ」しかとらえられない。
いのちは変化をするけれど、同じ歩みをしてきたもの同士は、
永遠に無量寿として実在している。
わたしにも「彼のひとはまぶたに浮かぶ」
「彼のひとの声も聞こえる」
そしてなにより「優しさ」を感じている。
いのちは永遠で無数であることを「無量寿経」は教えているのだろう‼️