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2021-02-22 06:45:00
無我について‼️
大乗仏教は「初期仏教の無我」を踏襲している。
いわゆる「有も無」もない「空」であるといったことである。
しかし、「量子」がある以上は「我空法有」でなければ、
現実的な実態と「符号しない」のではないだろうか?
ならばもう一度、「倶舎論」に戻る必要があるかも知れない。
もちろんそこに於ける「無為法の概念」は、「量子」から考えていかなければ、現実に合わない。
仏教が、「ストーリーを通して、智慧を学び、いのちのあり方を学ぶ」比喩的なものであるものもあるが、
「倶舎論のような、アビダルマ(法についての考察)」ということであるなら、
より真理に近くなければ意味がない。。
なぜならそれこそが「智慧の内容」になってくるからである。
現代科学と真理を符合させるなら、「龍樹の我空法空」は成り立たないといえる。
倶舎論を現代化した内容と「唯識の現代化」が必要になるだろう。
ニュートンやアインシュタインなどが、いきなりあのような法を思いついたわけではなく、
そこには西洋思想(薔薇十字思想)などが根底にあり、すでにそこにおいては、科学がなされている。
この思想は秘密主義で受け継がれているが、わたしはそこに触れ、仏教との整合性を思考している。。