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2021-08-19 18:54:00

神様を1ミリも信じていない不敬な私に神様の存在を信じさせるようなエピソードを教えてくださいませんか?

多くの人が「存在」という意味をはき違えています。

いま「コロナ」そしてデルタ株などはあるのでしょうか?コロナで亡くなったひとは「本当にコロナ」なのでしょうか?

お金は存在しますか?信用取引なのではありませんか?宝くじは当選発表で外れたらゴミでしかないでしょう。

坂本龍馬は歴史上の存在であって、どこまでが事実なのでしょうか?

アバターは存在ですか?ネットの陰謀論は事実ですか?

点は存在しますか?線は存在しますか?

あなたの目の前にいるひとは、確定人間ですか?宇宙人ではないといえますか?

そしてあなたは存在しますか?昨日生きていた次元と同じように見える違う次元やパラレルワールドにいるといえませんか?

あなたは回答を書いているわたしにとってAIではないと証明できますか?

信じない状態はどのように定義できますか?あなたにとって信じる状態はどう定義されますか?

そもそもあなたの存在は、だれによって証明されますか?

影武者ではないといえますか?

あなたが認知症ではないと証明できますか?

存在というのは、このように曖昧な概念で、同じものが複数人の目の前にあるとして、それは同じ存在だと認識しているとはいえないのです。

夜空に輝く「月のサイズ」すら、人によって大きさが違います。

ある存在を定義するとき、だれが認識すれば存在だと言えるのでしょう。

AさんとBさんの認識が同じなら「与党と野党」が成立するはずはありません。

自己の認識においても、同じはずの人と喧嘩したら、それ以前のその人のようには見えなくなりませんか?

キレイなひとが、別角度やすっぴんを見た後で、キレイと定義できなくなることはよくあります。

そうなればそのキレイなひとはいなくなります。

かわいい嫁が浮気をしたら、腹が立って、可愛くない嫁になったりもします。

つまり存在は事実は不確定でしかなく、自己においても不確定なのです。

だからこそ「人間の判断」は不確定であいまいなものでしかないのです。

ヒューマンエラーも起きるのです。

結論「神は絶対(英語で解放するものの意)」であって、不確定変数の多い人生で、そう思えないひとが死ぬまでそう思えないともなんとも言えません。

だから「絶対」なのです。「存在」ではなく「絶対」なのです。。