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2021-09-11 02:08:00

布教使不要‼️

エジプトの文化は紀元前2500年以上前からあるという。

 

クフ王のピラミッドがその頃のものだということだから、エジプト文化は、旧約聖書において「出エジプト記」なんていう時代よりもかなり昔から文化があったのでしょう。

 

そもそも人間がエジプトあたりから発生したという説もあるようです。

わたしたちは、そんな古いことまで思いも及ばないけれど、さまざまな民族が発生して、そのお互いの文化の交流はかなり古いのでしょう。

 

そういう意味で、ユダヤ教やキリスト教が政治や権力とともに大きくなっていったことにはすごいことだと思うのです。

なぜなら、王や権力者は「神を信じた」ということが言えるからなのです。

 

豊臣秀吉が、日本でそれ以前にチカラを持っていた本願寺の勢力を抱きこんで、天下統一をしたことは事実でしょう。

しかしこれは、必ずしも秀吉が「真宗(本願寺)のメンバーだった」ということではないのです。

 

チカラを利用したにすぎません。

それ以前に「摂政だの関白だの」という役職にこだわった時点で「天皇」という神のもとにあったのですから、それを越えて真宗(本願寺)を信仰したとはいえないでしょう。

 

しかし西洋においては、いままで「ローマ法皇」が権力を持っていたことは、為政者はほぼ、エセであれなんであれ「クリスチャン」だったと言えると思うのです。

 

もちろんローマにバチカン市国ができるまでの、出エジプト記以降もおよそ「王たる人」は「唯一のGod」を信仰していたからこそ「唯一のGod」を潰す勢力が消えていったのでしょう。

それはまるで日本の「天皇」のようだったと言えると思うのです。

 

わたしはこう言ったことを鑑みて、東西の交流はじつはかなり古く、シルクロードの紀元前2世紀を越えるのではないかと思うのです。

 

そういう意味で、仏教とキリスト教の交流やそれ以前の宗教文化の交流はあったと言えるでしょう。

だからといっていいかどうかは不明ですが「聖書と経典」には似通った例え話や教えがあります。

 

もとエジプトで太陽神「ラー」に似た仏が阿弥陀仏であったりします。

古くから太陽の存在とその昇りや下がりに意味を感じていたのは、エジプトもインドも同じだったのです。

 

太陽というのは、およそ天体において「不思議な存在」だったのは、当時なら当然のことでしょう。

また、同様に「月」も同じように神秘であったといえます。

 

こう言った、古代宗教と仏教の関係やキリスト教と仏教の関係といったことは、昭和の書物にはよく書かれていましたが、現代の真宗の本などにおいて、ほぼこう言ったことに触れられることがなく、「とにかく阿弥陀仏唯一が重要だ」と言った論調がほとんどであることは、「真宗カルト化」に注意せねばならないと危険視しているのです。

 

それは「自滅の危険」なのです。

 

僧侶であっても世界の動きを知る上でも、キリスト教の基礎知識ぐらいは知っておくほうが、現代には必要だと思うのです。

 

現代の知識層は「坊さんよりわしの方がよく知ってる」と思っている人も多く、「アホらしくて無知な坊さんの話なんかにお礼を出せるわけがない」という役員さんから「布教使不要」という意見が各所出ているようです。

 

そういう意味でわたしは「コロナ」が終わった後に、以前と同じように布教が行えるとは思っていません。

 

どんどん「お経だけの先祖供養法要」が増えて、日本の良き教えまでもが失われていくでしょう。

 

わたしはそれを案じているのです。