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2021-09-19 23:35:00

未完の完‼️

【死後の概念と菩薩道】

 

現在真宗お西の方は、現世で私は修行ができないから、阿弥陀様の力によって、極楽浄土に生まれて成仏するんだっていいますが、死後の世界の極楽浄土を望むだけで、現世においては何も特別なことをしないとするならば、それを仏教と言えるのでしょうか。

いくら、たいした菩薩道を歩むことができないとしても、その菩薩道が未完成のまま私の命が終わったとしても、その菩薩道を生きている私の姿は、子や孫や周囲の方々に何らかの影響与えていくのではないでしょうか。

少し専門的になりますが、だから無量寿経と言うお経の中の法蔵菩薩さんは、「生きとし生けるもの全てが救われなければ、私は成仏したとは言えない」と言う願いを立てておられるのでしょう。

それはつまり、現世で完成しなくても、必ず生きとし生けるものが向かうべきベクトルを明らかにしてくれているものだと思います。

だから、現世で私は修行はできないから、何もしなくていいんだといった誤った解釈が死後の世界やこの世における生き方を変えるような教えになっていないと考えます。

お西のお坊さんが、現世では何もできないから何もしなくていいんだと言うような姿勢を見せているために、浄土真宗は、どんどんと廃れていっているように思わざるをえません。

死後に浄土で成仏すると言っていい、現世で何もしないのではなく、あくまでも法蔵菩薩道を歩むと言う姿勢が必要なのではないでしょうか。

それは、現世において「未完の完」と言えるかもしれませんが、全く世俗と同じであるならば、そもそもの無量寿経の教えの存在意味がありません。

未完の完であるからこそ、次世代へと受け継いでいかれる素晴らしい菩薩道と言う教えを残していけることになるのではないかと思います。

そうであってこそ、子々孫々が、わけのわからない自己満足でしかない夢ではなく、世の中に貢献していけるような大きな夢を描いて生きていくことができるようになるでしょう。