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2021-09-20 05:34:00

【無為法】ご参考に‼️

【無為法】(ご参考に)

 

三無為

 部派仏教中の説一切有部によって主張される。

択滅無為(pratisaṃkhyā-nirodha-asaṃskṛta)

 簡択力によって得られた滅。簡択とは四諦の理をさとる智慧。この智慧によって煩悩から解脱したところに顕れる空寂の真理。涅槃のこと。すなわち汚れなき智慧の力により煩悩を断ずるところに現われる無為をいう。択滅の数は煩悩の数とひとしいとされる。

非択滅無為(apratisaṃkhyā-nirodha-asaṃskṛta)

 簡択力によって得られる滅でない空寂なるもの。因と縁とを欠いて現象として生じないもの。たとえばある一つの物(色)を眼(眼識)で見るとき、他の物を見る・聞く・嗅ぐ・触るという感覚(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五識)は生じないままであることをいう。これを「縁闕不生の非択滅」という。唯識では、真如のありよう.顕れ方に応じて次の6つの無為を立てる。択力によらず、縁欠不生によって、生ずべき法が未来にとどまり生じないところに名づける。

虚空無為(ākāśa-asaṃskṛta)

 いかなるさまたげ(障礙)もない広大無辺な空間。そのなかで、もの(色)がさまたげられることなく、自由に動きまわり、増大・収縮することができる空間。虚空は実体として存在する(実有)。無礙、すなわち諸法が存在するうえにおいて障害の無いことをいい、いわば絶対空間ともいうべきものを指す。単なる隙間の空間としての虚空とは異なる〔『倶舎論』1〕。

 他の部派仏教では大衆部や一説部などが九無為説を主張する。

 

六無為

 大乗仏教の唯識派によって主張される。唯識派による無為は識変と法性とにより仮立される。六種の無為を説くけれども法性所顕の縁によりて説くのであって別体はない。

虚空無為   法性すなわち真如が障害を離れたところに現われる無為である。

択滅無為   法性の択力で汚れを滅したところに現われる無為

非択滅無為  法性の択力によらず本性清浄あるいは縁欠不生により現われる無為

不動無為   第四静慮に入り、苦楽受の滅を得したところに名づける無為

想受滅無為  非想地の滅受想定に入り、想受の滅を得したところに名づける無為

真如無為   法性が真実如常の相を有するによって名づける

 前の五無為はいずれもこの真如無為によって仮立されたものであり、真如無為も仮名であるが、その体は実有であるとされる。

 有為と無為とは説一切有部ではまったく関係なく、また唯識仏教においては、「有為無為永別」として、有為の諸法は真如たる無為法から縁起してくるものではないとされ、有為と無為とは能依所依の関係である。これは性相を決判し、「真如凝然不作諸法」と建てる法相教学からきたものである。