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2021-10-07 05:01:00

弱肉強食‼️

戦国武将が戦ったり、農地や領地を奪って行ったり、こういう事は現代において殺戮者、侵略者とは言われる事はないでしょう。

ある人は歴史の中の必然性であると言いました。

とは言え、ヒトラーを始めとして第二次世界大戦あたりの方は、殺戮者や侵略者と言われます。

 

平成生まれの方にお聞きすると、「第二次世界大戦は平安時代ぐらいの感覚と変わらないです。」と言う人も多くなっていて、じゃぁ実感はないですかと聞くと、ほぼ全く実感がないと言うことをおっしゃる方が増えていっているのではないでしょうか。

 

私はアホなことを考える人なので、

 

「戦国時代あたりは歴史の必然であって、第二次世界大戦は歴史ではあるけれど、殺戮者侵略者といった範疇に入る」

ということなのでしょうか?

 

それでは、そういった出来事があったあと、何年たったら、あるいはいつ頃から、殺戮者や侵略者から歴史的必然の流れの中の人であると言われるようになるのでしょうか?

 

人間がどのような時代にどのようなことをしても、観点を変えてしまうと定義が変わっていくので、その歴史に学ぶと言うことがなくなっていくのではないでしょうか。

 

お釈迦様の出家の理由としていくつかの説がありますが、その中に「鳥が虫を食べているところを見て、弱肉強食と言う事実を受け入れられなくなった」と言う説もあります。

 

また、親鸞さんと言う人は、9歳から比叡山に修行に入り、比叡山の中でいろいろな酷い事が行われていて、そういうことから目を背けられなくなったから、比叡山での修行を止めて山を下りた、と言う説もあります。

 

お釈迦さんや親鸞さんとか、ずいぶん昔の方々ですが、人間として理性や知性の観点から感性と言う部分がそういった現実に疑問を持つと言えるんじゃないかなと思うのです。

 

つまり、歴史の古い新しいとか、エリアが違うといったことではなく、人間が持っている知性理性と言う観点から感性を磨き上げていくと言うことが大切な考え方や視点であると教えられているように思っています。

 

現代社会において、どんどん人間の知性や理性や感性と言う事は無視されて、愚かな方向へと進んでいっていると言う意味において、私は、人間がどんどん劣化し退化していると考えざるをえません。

 

お釈迦さんやその他、キリスト教のイエスさんも、こういう観点から人間が「立場を持たない中道」や「人間は神を超えてはならない」と言うことを教えられておられると思います。

 

人間が各独立した単独の判断で殺戮しようとも侵略しようとも勝てば官軍だ、と言ったことを人間の大いなる劣化、退化であると教えてくださっているように思います。