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2021-10-20 06:38:00
遊び戯れる‼️
【本願は命の願い】
教行証文類の「教文類」には、「無量寿経」という経典が真実であると書かれています。
この経典に「阿弥陀如来」という文言は出て来ません。
無量寿という「命の願い」が真実だと記述されていると思っていいでしょう。
つまり、「自分の命の願いに嘘をつかない」という命のあり方を教えていると思うのです。
「私の命に授かった願いは、計らうことなき素直な気持ち」だということです。
「どうしたらいいか?」は命が教えてくれるのです。
人間は「計らって、企てて生きよう」とします。
そこで「悩んだり、感情に流されて」しまうのです。
教行証文類の信文類に「私に真実心はない」という教えがある。
と、教学者はいうでしょう。
それは「我執心」にとらわれて苦しんでいるということを教えられているのだといえるでしょう。
純粋に世の中を生きていこうという命のあり方で言えば、「自己に湧き出す願いに嘘をつかない」ということが、「仏性、如来」を生きる「命の本願」の世界感を生きることになると言えるでしょう。
仏教は「教条や倫理」ではありません。
つまり「ねばならない」を教えているのではありません。
真実心に生きることで、「我執による、怖れや苦悩がなくなって生きていけること」を教えているのです。
教えを生きることで、「煩悩の林の中を、遊ぶが如く、戯れる如くに生きられる」ことを教えてくれているのです。