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2021-12-01 01:00:00

不安をもつ人に!

《不安な人を安心させる言葉は、どのようにして創造されますか?》

 

人の心の動きには、その人の特有のパターンがあるものです。それが、精神分析によって明確になるとは必ずしも言えません。不安を訴えることで喜びを感じている人もいれば、不安を共有してほしいと言った依存に基づく人もいます。こういったケースの場合、不安と言うことが必ずしもその人にとってマイナスの状態であるとは言えないことも意外にあるものです。不安と言うことをコミュニケーションのきっかけにしたり、その不安に対しての関わりそのものをコミュニケーションと思っている人もいるものです。このように人によって心の動きのパターンは多様性を持っていてそれが何らかの分析によって明確になるとは言えないものです。また、心理分析には、分析者の主観が入るので、専門家であっても同じ結論に至ると言うわけにはいかないものです。つまり、人間の心の動きには、コンピューターのようにプログラミングによって作られるものと、それを超えて、DNAに刻み込まれているものなど複雑な要因が混在しているので、簡単に理解する事は難しいといえます。そして、不安な人が必ずしも安心を求めていないと言う潜在的な気持ちを持っていながら、本人はそれを認めないと言っためんどくさい生き物が人間であるともいえます。

よくあるこのようなパターンでいくと、子供の心理的問題に親が取り組んでいる時、子供の問題が解決することで親は子供から離れなければならないと言う潜在的な思いから、問題を解決したいと言いつつ、心の底では解決したら寂しくなるといった気持ちが並行している場合などが顕著な例だといえます。

つまり、解決して良い問題と、解決しない方が良いと言う問題と大きく分けてこの両者が平行しているというのがほとんどの人の潜在意識にあるといえます。そういう意味で、私は鬱に苦しんでいます、と言いながらも、鬱だからこの状態で認めてもらえると言ったアンビバレンツな気持ちを抱く事は誰にとってもあることだといえます。また、もう仕事が忙しくて大変だと言いながら、その大変がなくなってしまうと空虚な状態になるであろうことを、実は潜在意識で認識している、と言うようなことも同じパターンであると言えるでしょう。しかし、それがどういう時にそのような心理状態になるかは人それぞれの複雑なパターン構成によって成り立っているので、一様にそうであると言う事はできません。

以上のような観点から不安と言うことについて考えてみると、不安が=安心であると言う人も実は意外に多い、と言うことがいえるのです。

多くの人において、自ら不安だと言うことを表現される場合、自分がどういう心理状態にあるかと言うことを実は潜在的にわかっていると言うケースが意外に多いものです。つまり、どうすればそれが解消されるかと言うことも同時に知っているけれど、それを解消したときに起こってくる別のマイナス要因を並行してわかっていると言うケースはあまり表にはされませんが非常に多い事例だといえます。

カウンセリングや心療内科などに相談に来る人は、実はカウンセラーやドクター以上にその問題についてよく知っていて、はじめに、カウンセラーやドクターの実力を試すような訴えをしてくることが意外に多く、また、そういう相談者は、カウンセラーやドクターと心理戦を始め、結果、そういう相談者の方が心理戦に勝ってしまうと言うことがあるものです。

こういった事例から、私がもし誰かから不安をなんとかして欲しいと言われたら、そんなん知らんと、ひとこと言うだけで終わらせてしまいます。この時点で、多くの場合心理戦に勝つという立場ができあがるので、まずは相手とのパワーバランスを取ることを考え、その後に、とりあえず取り合っていいか、ただ依存されて終わりだけのめんどくさい相手なのかといったことも考えつつ、関わり方を考えていくと言う流れで、不安に関わる関係と言うものを創造していきます。