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2021-12-08 04:30:00

ペットとひと。

《録音》

ある人がある動物をペットとして飼うことにしました。

ネットで調べてみると、なつきやすい個体を選ぶ方が良いと書かれていたけれど、そんなふうに命を選ぶようなことをしたくないと言うその人は、とりあえず自分が直感で選んだ個体を家へと連れて帰りました。

 

するとその個体は、非常に怖がりで、手を差し出してもびびって逃げる始末で、ネットで調べたように時間をかけてじっくりとその個体と接するように努力をしたとしても、結局びびって寄ってこない上に、近づくと逃げると言うような状態であったのです。

 

その飼い主さん(この表現もどうかと思いますが)は、その個体の状態を見ながら、食べやすいものを選んだり、その個体が遊びやすいようにしたり、色々と努力をするのですが、どうしても反対へ反対へと動いていくと言う状態だったのです。

 

どうしてこんなに努力をしているのにわかってくれないんだろうとその飼い主さんが思っていた時、あ〜キリスト教の神も同じ思いなのかもしれないと思ったとのことです。

 

神は人間に、より良い方向を導いているのに、人間が勝手に自分で自分を苦しめる方向に動いている、と言うことを嘆きながら自らの体をイエスキリストとして十字架につけると言う中で、復活と言う奇跡を通して神の愛を伝えていますが、

 

人間は、人間こそ最高であって、「神様なんかいない」とか、「宗教なんかやって何の得があるのか」などと言いながら、結局自らが資本主義等の中で苦しい苦しいと叫んでいることに気づいていないと言うことをその人はその個体から学ばせてもらったと言うことです。

 

私たちは、自然や神の中で生きていることを実感しながら、命が導かれていく方向に自然にゆだねていく事が、神の愛を感じることであったり、自然の智恵を得ていくことであったりと言う、本当の意味での精神の解放と言うことが実現されると言うことを自覚する方が良いのではないかとこの方の話を通してしみじみと感じました。

 

宿屋の女将もそんな感じの人ですね!

〈N〉