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2021-12-26 01:44:00

偶像劇場!

台湾なんかでアイドルが演じるドラマなんかに「偶像劇場」って書かれていることがあります。

 

直訳すると「アイドルシアター」になりますが、つまりは、アイドルは作られた「偶像」なんですね。

 

そしてドラマのストーリーすらが、その偶像のなかで進んで行きますから、ストーリー含めて偶像なんです。

 

聖書は、「初めに言葉があった」からスタートしているので、初めに《神》があったということではないんです。

 

つまり聖書のストーリーは、偶像ではないということを明らかにしているんです。

 

仏教も本来「言葉で表現できない法則性」という「悟りそのもの」を真諦(しんたい)といって、それを教えるための「言葉(言説化)」を俗諦(ぞくたい)と言っているんです。

本来の仏教学にはそういう区分があるんです。

 

しかし、大乗仏教は「阿弥陀仏」などの偶像ストーリーを真実とする説き方をするので、結局真実ではない内容が広まって、偶像ストーリーの狭いなかで、救われたとか救われないとか、仏は存在するかしないか、なんて言ってるんです。

 

また「初期仏教」では認められなかった「常一主宰」というポイントも「阿弥陀一仏しか認めない」なんていうことをいう学派もあるので、仏教本来から遠ざかっています。

 

神が言葉として語られていることが聖書のスタートであることは、仏教も学ぶべき点かと思います。