インフォメーション(日々更新中)
2021-12-27 00:24:00
3分間裁判!
《「悪のような善」は成り立ちますか?また具体例はありますか?》
むかしの仁侠道はそうかもしれません。今の福祉のようなことを、昔風ではありますがやっていたと言えるのです。
いまでいう障害者さんを受け入れたり、用心棒はマジで厄介な人を追い払ってくれたりと、いまの警備会社以上に役に立っていたようです。
いずれにせよ、善悪の問題にご興味がありそうですが、善悪は相対的なものなので、「私が大金を寄付する」といったようなことでも、寄付した相手がなににどのように使うか、事実がわからない以上「善悪の定義はできない」でしょう!
戦争における敵への殺人すら「善」にもなりますし、ヒトラーが歴史で悪にされていても、戦国武将は悪には定義はされていないのです。
戦争で殺した人が悪なのか、命じた人が悪なのか…!?
私は刑務所に指導に行く立場(教誨師)でもありますが、時折、本来入るのはこの人ではなくて、この人を陥れたひとだと思うこともあるものです。刑事事件の裁判が、テレビドラマのようなものではなくて、3分ぐらいで終わるものが多いことを知っていたら、入らなかったという人もいます。
裁判で弁解の時間なんてなかったと知った時には有罪になっていたなんてよくあることです。
そういう点で、法律のもとの「善悪か?」「社会的善悪(迷惑程度)なのか?」「絶対的な定義を求めておられるのか」わかりませんが、ものごとや出来事は、状況の解釈次第であると言えるでしょう。