インフォメーション(日々更新中)

2021-12-27 00:27:00

自由意思!

《欧米の映画や創作で「自由意志対運命」がテーマにされがちなのは何故ですか?キリスト教的な世界観も関係しているのでしょうか?》

 

そもそも、民主主義の世の中で、自由意志というのがどこまで自由なのかと言うポイントが、この問いの中では明確になっていませんが、生まれる場所や親や環境やいろいろな事柄を選んで生まれているわけでもなく、世界中の可能性を検討して生き方を選んでいるわけでもなく、我々がいかに限定された中でしか物事を選択せず、また教育や常識や情報や周囲の観点に振り回されて自由だと錯覚をしていると言うことも多く見られることです。

 

このような中で、欧米などでは人間の限界を理解するために「人間が最終決裁者になってはならない」と言う前提があると思います。

人間は狭い範囲内でしか自由意志を持てず、しばしば過ちを犯します。

ですから、自分が考えていることなど、ほんの微々たる観点でしかないと言う前提のもと、神の意思を聞くと言う点において、自分の意思や出来事等についてどのような神的な理由があるかと考えるかと言う前提が、人間にとって重要であると言うことが大きな基本にあると考えられます。

 

民主主義において、多数が正解であると言えないことも、しばしばあると思います。

そういう中で自由意志=自らに由来する思考が本当に自らに由来しているのかと言うことを自覚しないまま、浅い思考をインスタントのように展開していると言う事だけではないのか、そういった自由と言うことが本当に自由なのかと言う検討がなされないまま多数で物事を決定しているということが大きな問題であると言わざるを得ません。

 

そういう中で、共通認識を根源とする聖書の世界観をもとに生きると言うことが、人間が最終決済をせず、共通認識における神を最終決裁者とすることが重要であると言う事が西洋の思考の根底にあると考えられます。

 

アメリカ大統領は、神が指名したと言う前提で聖書に言っておいて宣誓をするのです。