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2021-12-29 23:12:00
あなたは存在しているか⁉︎
《神という存在は結局のところ、人間の脳内に存在する全ての人格を統合する高次の意識を、人が外部にあると勘違いしただけなのではないですか?》
おっしゃることを私も以前はこのように思っていました。
ここで少し話が変わりますが、以前知人だった人が、「私は子供からおばあちゃんまで女性を見るとエッチの対象になるかどうか」と言うふうに見てしまうんです。と私に言った方が本当にいました。この人から見れば、女性はすべてエッチの対象であると言う物体に見えるのでしょう。また、現役を高度経済成長の時代で仕事をしてきた人は、「損か得か」と言う観点でものを見られる方が意外に多く、「nakagamiさんは、よー儲けてはるやろ」「坊主丸儲けやから」と言うようなことを普通におっしゃいます。
今どき、お坊さんなんてそんなに儲かるものではありませんが、損か得かで考えている方から見れば、儲けているように思うのかもしれません。
このように私たちは、様々な観点から現実世界を見ているので、同じ場所同じ時間にいても同じ現実を見ているとは言い難いのが事実かと思います。
昨日のあなたと今日のあなたは同じ人ですか?今日のあなたは昨日のあなたと同じであることを証明できますか?あなたを見ている私があなたを見ていると証明できますか?私がまたはあなたが認知症ではないと証明できますか?今のあなたは別次元のパラレルワールドから来たあなただと違うと証明できますか?明日のあなたは今日と同じ次元にいると確定的にいえますか?あなたは人間であることを確定的に証明できますか?神はいないと言うことを証明できますか?
などなど、量子物理学の不確定性原理から言えば、われわれは何をも証明できないと言うことがわかると思いますが、それでは困るので、脳が日常的なやりとりを便宜的に生み出していると言うことをご存じではないかと思います。脳はしばしば、人間の生命体を生かすために状況に応じて判断を変化させている、と言うことを、脳科学や認知行動心理学では言われているのもご存知であろうと思います。
つまり私たちは、存在を証明すると言うことができない前提の中で、何のために人間がいてどう生きるかと言うポイントで、「神なんかいないのだから人間の存在意味はない」と定義してしまうと、それこそ殺人であろうが自殺であろうが存在意味のないものをどのように扱おうと構わないと言う前提が定義されてしまいます。
そこで、だからこそ法律や倫理があるんだと言う社会が現代日本の社会であろうかと思います。
しかし、この法律の解釈の問題や、冤罪の問題や、倫理に明確な定義がない曖昧であることなど、法治国家だと言いながら、人脈だとか立場によって法律の適用が変わっていったり、弁護士の良し悪しで罪が変化したりといった、法律による様々な問題が生まれています。
また、そもそも生きる意味がないのに、なんでそんなにがんばらなければいけないのか、人間は金さえ儲けて、人がどう傷つこうがどう悲しもうが、そんなこと知ったこっちゃない、現実世界では面白くないのでバーチャルな中でアバターとして動く方が面白いなどと言った心理状態に悩むひとも増えています。
これは、「何も証明できない人間」が最終決裁者のようになって、人間が人間をさばいたり、人間が生み出した何らかの価値をよしとして、その価値を得られない人は落ちこぼれていくといった世界観を生み出したり、人間が根源的な問題に意思決定をすることによって、様々な問題を生み出していると言わざるをえません。
つまり私たちは、自分の存在さえ証明できないけれど、「前提を定義する事はできる」と言えるのです。
何のためにどのように生きるのか、と言う前提定義を持つことによって、曖昧で不明確な人間が最終決裁者になるのではなく、「聖書という共通認識を共有」しながら不確定な人生を「神に定義をゆだねていく」ということが、実は最も科学的であって、合理的であると言うことが言えると思うのです。
欧米主導の世界が、基本的に、聖書に基づいて歴史を進めていると言う事実があるのはこのためだと言えるでしょう。
そこで、カトリック教会が主導権を持っていましたが、ルターのプロテスタントの解釈が主流になりつつあります。
2021年現在、新約聖書への移行時期に入ったと言うふうに言われていると言うことも耳にしております。
アメリカの大統領は基本的に神が指名したと言う前提があるので、聖書に手を置いて宣誓します。そして、基本的に日本のような総理大臣が解散をするといった形式で、アメリカ大統領が解散をすると言う事は無いのです。神の指名だからこそ…