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2022-01-08 08:54:00
正しく生きること‼️
《構造主義の手法では全体像を見失うように思います。しかし全体像とは分かりにくいものです。 そこで質問です。何を以って真理とし、それを理解するために我々は何をすべきでしようか?》
多くのみなさんが、こういう先達思考方法を基準にものを見ていこうとされますが、「自分の仕方」を構築するためにも、「資料収集」「論理立て」「そこへいく行動力」などがない限り、本当のことはわからないものです。
人間同士で「会ってみたらいい人だった」なんていうことがよくあるのと同じです。たとえ「過去のこと」であっても、現代なればこそ史料や資料は入手しやすいのですから、自分の論を立てていく能力や努力放棄した時点で、真理や真実はわかりません。
私はフリーメイスンリーを知ったとき、東京のロッジに行って、あるロッジを紹介されて行ってみたら、イメージとは全く違う世界でした。上祐氏も事件以後に会いましたが、これも会うことでわかったことは多くあります。
これらは特筆すべきと思い記述しましたが、いろんなところへ出向いて直接確認して、時代や歴史との関連性を論理立てすれば自ずと真理、真実は机上にはないということがわかって、真理は見えてくると言えるでしょう。
【同一人物から2つ目の問い】
《「正しく生きる」≒「生きるならば正しくあれ」ならば、「正しくあれないなら死ぬ」のでしょうか?「正しき者は報われ、正しくない者は罰せられる」ならば、黒を白にする暴力こそが正しいのでしょうか?》
【回答1】
2つのリクエストをいただきましたが、なにか他者基準でものを考えておられるように思います。こういった、戯論に時間をかけられるより、実益のある論を立てていかれてはいかがでしょうか…生意気にすみません。
《回答ありがとうございます。
確かに、そのような傾向はあるのかもしれません。「果たして自分ごときの基準で判断・行動しても良いものか、正しくあるべきではないか」→「では正しさとは何か、"正しく生きよ"や"正しき者は報われる"などから類推できないか」と思い、質問をした次第でした。
誤りながらでも私は生きていて良いのでしょうか。》
【回答2】
ど真剣な問いだと判断して回答いたします。〇〇さまのような方が犠牲になるのが、今までの資本主義カルトと、矛盾した民主主義ですから、「儲けたもん勝ち、自由と平等という相反する原則、なんでもかんでも多数決」という社会の中で、正しさを生きていこうとされる方の方が貴重だと思います。そこで、カトリック教だろうが、日本の仏教だろうが、その意図的に作られた「資本主義カルトと矛盾に満ちた民主主義」の上に成り立っているのです。どれだけ素晴らしいことを言おうとも、そこに立脚している時点で、正しさを生きているとはいえないのです。
私は、お金は3ヶ月分以上は持たずに、貯まる前にふさわしいと思う人に差し上げています。また、不平等な自由に立脚しないようにして、置かれている状況の中で、誰に何をすれば良いかということを考えて行動しますが、そこを知るために、世間についてあちこち足を運んだり、いろんな悩みについてカウンセリングをしたり、会社経営をして、借金で自転車操業になる理由を知ったりという中で、「ひとの置かれているウラとオモテ」をとにかく少しでも知っていくことと誰かの役に立つことを使命として今日まできました。
いま日本含めた世界中が「グレートリセット」されているなかで、この「資本主義カルトと矛盾に満ちた民主主義」の終焉を迎えようとしています。これは陰謀論者がビジネスネタにしていろいろ書いていますが、陰謀などではなく、政治であり「ルター派キリスト教徒の有志」の方たちが率先して動いているんです。旧約聖書が終わって、新約聖書の時代に移っていく流れを構築されています。今年の春ぐらいには日本も大きく変化するでしょう。こういった価値観や基準が流動的な人間世界にある正しさは、状況によって変わるのですから、「価値の最終決裁者」は人間や法律家によって変わる法律ではダメなんです。
そういう意味で、カトリックのアクは暴かれましたが、プロテスタントには、本山のようなものはありませんから、「聖書のみ、信仰のみ、恩寵のみ」を実践していく上での最終決裁者は神であるという、アブソリュート(絶対)は「解き放つもの」が意味するなかで、あなたがあなた自身や誰かを縛っていないかどうかということが大きなポイントかと思います。
カトリックやその周辺にいたヤカラのような組織やひとは、ほぼ今現在一掃されています。これから世界は再編されていくでしょう。そのなかでまずは、あなたがあなた自身の拘束から解放してあげてください。