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2022-01-25 09:18:00

神の存在‼️

キリスト教の深いレベルの信仰をしているひとは、

「神は存在を超えている」

という観点から、「存在を確定したうえ」なら信じるという人を超えています。

つまり知性が高くそのレベルにあるひとは、人間の存在をも「不確定性原理」のように、「人間こそ曖昧でよほど不安定」だと知っています。

その前提で「全てには理由や意味がある」と「自己に起こること」についても「理由や意味」を問いながら生きるので、「問題解決能力」も上がり、「喜びの糧」を「神への問い」から導き出しながら成長していきます。

たとえ何歳であろうとも。。

そういう人は「目の前の会社の待遇や給料」などなど、世間で起こることや自己の置かれている状態に、「愚痴を言うことなく前進されます」から、

サンタさんを信じているような、小さなお子さんに「そんなもんおらへん」といってしまうようなことはしません。

また、「サンタさん」に会うまでは「起きてる」と言いながら寝てしまうお子さんを微笑ましく大きな夢を持たせるように対応することでしょう。

また「キレイなお花」というお子さんに「ホントだね」といえるものであり、「あ〜そうやね」とテキトーな返事をすることもないでしょう。

「生きているのは当たり前ではない」「このお花がここに咲いていて、そこに目を向ける」のも当たり前じゃない。

すべてが「人智をこえた神と言われる無限の存在がなしうることだ」と受け止めて「神がわたしになにかを教えてくれる糧」であると思えると、「苦労も何もかも、サンクスなんだ」と思えて、すべてが「感動を招く幸せの糧」であると受け止めて前進されるのです。

すべては「神のギブへのサンクス」であるという幸せを生きて、愚痴ばかり言ってる人も、そういう人に接すると、なぜか愚痴が出ないという「功徳荘厳」が広がっていくようです。

僧侶も「なぜかこの僧侶と話をしていると自然と自分が変えられている」と思えるあり方を目指して「すべては如来の功徳荘厳」だと「サンクスに生きる」ことは重要なのだと教えられました。

ある高位のフリーメイスンリーが、「パンダの写真を出して」私に、「こんな可愛い生き物がいるなんて、神がいないわけないでしょう」といったので、私も「ハムスター」も同じですよと言いながら、楽しくお酒を酌み交わしていました。

こういう次元を生きていることに幸せを感じます!