インフォメーション(日々更新中)

2022-02-27 23:24:00

なにものになるか‼️

仏教(仏典)は、ハッピーエンドで終わる話が多いように思う。

そして「一切衆生には仏性あり」的な基本が、性善説と言ってもいいかもしれない。

 

真宗では、そうじゃないというかもしれないけれど、結果的に「無条件の救い」的な話って、ハッピーエンドじゃやないのだろうか。

 

阿闍世っていう極悪人も救われるようになっていくし、こういった教えがどれだけの現実性をもつのか…

 

ユダヤ教に始まる「律法」という教えにおいて、ハッピーエンドはほぼあり得ない。

救われるものは、救われるものにならなければならないのである。

 

ここはじつは現実問題として重要である。

「いままでの資本主義」において、数百年も数字でひとを苦しめてきた一族があるとして、その一族は救いの対象になるといえるだろうか。

 

また、そういったアクマ的なひとや基準に振り回されているひとも救いの対象といえるだろうか。

 

選択を間違ったのは、その人自身であり神ではないから、神に責任はない。

全てを救った時に、その全てがうまく機能するといえるだろうか。

 

だから「仏教は仏に成れる」のではなく、「仏になってもらわないとどうにもならない」ということだといえるだろう!

 

バイブルでいえば「裁き」という、神の基準に合わなければ

どうにもならないということがいえるだろう!

 

つまり、私たちは「ありのまま」で良いというところにはいないのである。

平和な時にはわからないことであったが、世界がこういう状況になって、仏教やキリスト教がなにを言っているのかということの本質が明確になってきたようである。

 

あなたはあなたから「なにもの」に変化できるだろうか!