インフォメーション(日々更新中)
2022-06-21 01:46:00
仏教は宗教ではない‼️
仏教は、厳密には、宗教ではない‼️
これは「宗教法人法」とか、「宗教学」というような観点ではありません。
「教えのあり方から論じるならば」という観点からのものです。
仏教は、あくまでも生命の本源や存在や現象の本質を探究して、それが「無常、無我、空、唯識、華厳など」であるという「真理」を認知する「智慧」を以って苦を除くという「精神の医学」といった類のものなのです。
つまり、釈迦は「大医王」と言われ、「応病与薬」といい「対機説法」といわれるように、あくまでも「苦を除く教え」であり、「精神や魂の医学」といっていいでしょう‼️
ですから仏教は、キリスト教などの「人間を超えた実在が在り、それは人間が把握できるような存在でもない真理である」というような、物理学や心理学やどのような学問がどう言おうが関係のない「絶対者」を教えている教え、とは異なるのです。
そういう意味で、仏教は「神」に包含される位置にあります。
つまり、仏教は宇宙や人間がいてその教えが存在しうる位置だと言うことです。
だから、仏教をど真剣に説いてきた私が、キリスト教に私の命の存在理由を見出すことができたのです。
「神」は「宇宙や法則を超えて在る」のです。
ゆえに、それこそが究極の絶対なのです。
そこには、どんなチカラも及ぶことはできません。
ですから、バイブルの言葉を、素直にそのままに受け入れて読めば読むほど、そのことを実感できるんです。
だから私は、「クリスチャン僧侶」というバカと思えるような位置付けを、「仏教をど真剣に説いてきたからこそいえる」と思うのです。
親鸞さんが「非僧非俗」(親鸞さんは、僧侶になったけれど、突き詰めれば戒律を守って清貧に生きられないという本音から言えば、「僧侶とは言えない」また、とはいえ、一般の人のように「俗世間の価値観で生きているのではないから俗でもない」から「非僧非俗なのだ」)と言われたように…
これを「異端」だのなんだのと、人間目線で「狭小な場」を生きている人には理解されないと思いますが、申し訳ないのですが、「神」は私にそう言っているのです‼️
〈ご参考〉
「弥陀一仏」にこだわる「仮想現実」を生きるのが仏教ではありません。
弥陀「一仏」の本来の意味は「一即一切智」という「華厳の智慧」から、
「宇宙のあり方と私が生きる智慧の位置付け」を説いていて、
「一仏を通して一切を知る智慧を得る」ということです。
迷いの無明から、悟りの智慧(光明)生きることが「絶対の安穏」を得る道だと教えているのです。
この智慧によって、「この世はすべて幻想である」ということがわかってくるということで、
これは「無常無我、空、唯織、華厳」=「真如」について説いているのです。
ここで、あるYouTubeの「仮想現実論」をご覧ください。
以前、私も、このYouTubeのように量子論と仏教の空を同じとよく言っていました。
けれど、仮想現実だとしても、どう生きてどう死ぬかは、DNAと生まれてから今日までの情報をどう生きて来たかということになる上、いま自分があらゆる事柄において、正確な選別をして生きていくことが重要なのは変わらないんです。
量子だ、仮想現実だと逃げていても仕方がない!
そこに、より正確な選びを与える情報を「教え」というのでしょう‼️
とはいえ、「救われる」ということは、生きる上での目的というよりも、「救われた、大いなる者に信じられている」といった「生きるエネルギー」を生んでくれるものなのでしょう。
ただ、それはこのYouTubeの中にも、一部触れられてあるように、量子という前提を生んだ、なんらかのエネルギー体のような存在があって成立しているということを、「神」というのでしょうか…
阿弥陀如来にせよ、大日如来にせよ、仮想現実の中に於いて存在を定義するしかない、「宇宙の中」での存在定義するしかないストーリーが「仮想現実を超えて」働きかけてくるというのは、救いとして弱いから、事実、仏教のエネルギーは人間界で衰弱しているように思えるのです…