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2023-05-04 04:18:00

私の存在理由‼️

初めに量子があった…。

そこからビッグバンが起こり、宇宙は広がって行った。

っていうと、ほとんどの現代人は「そのまま受け入れる」だろう。

 

では、初めに神があった、そこから世界と人間と言う広がりに発展した。

っていうと、ほとんどの現代人は「疑問を持つ」だろう。

 

しかし論理的にこれは同じことをいっていると気づく人は少ない。(多分)

 

なにが同じなのか。

これはどちらの文章も、全ての始まりにある「第一原因」はそのよって立つ「原因」を持たないのである。

 

「量子」も「神」もそれがどういう原因から成り立つのかということをほぼ問うことはない。

(もちろんそれを問うことで、第一原因は存在として成り立たないという哲学もなくはない)

 

しかし「存在はその存在によって存在が決定される」ので、「私のみならず、私の目の前のパソコンは、私によって存在が決定されている」わけである。

 

では、「私は、なにを原因として私たり得るのか」と言うと、まずは「親」であろう。

親に○○ちゃんといわれ、周囲の人たちからさらに私を私として存在決定する人の世界が拡がっていく。

 

では、その「親」の存在を決定してきたルーツをたどると、原人になるのか、アダムとイヴになるのか、といった様相をもつが、究極、「人間が存在する場としての地球や量子場の因はなんなのか」というと、「神や量子そのもの」がすべての存在を決定する第一原因に他ならない。

 

そしてその第一原因を超える原因が決定される事がない以上、それらが第一原因であるとしか言えないのである。

 

そこでそれが「量子」ならわかるが、「神」はわからない。

と言うことになるだろう。

 

量子は科学で、神は人間の創造物だと言う人がいるが、まだ超弦理論を超える量子の状態を説明できてはいない。

「科学者同士が暗号のような数式でわかり合っているように思っているだけ」と言えなくはない。

 

なので、物理学では「天才」と言う表現がよく使われる。

多分、アインシュタインやホーキングさんのいってることを理解できる人がほぼいないと言うことだと言えるように思う。

 

しかしその数字という文字で表されている内容が、人間の創造であることは「神」以上に決定的である。

 

しかし、「神」は人間が創造したということを決定づけることはできない。

なぜなら、「神がいないこと」を決定できない上に、神によって創造された「私の存在」は決定的であるからである。

 

つまりは、「神以外にすべての第一原因とすることができない」ということなのである。

 

このように「存在の因果」を考察していくと、神にスタートしているとしか言えないのである。

すべての第一原因は神しかないといえるのである。

 

そもそも、この宇宙に「私という意識体」が存在している不思議なことが「その理由を探究すべき意識体としてある」としか言えないと思える。

 

ただ無駄に寿命を延ばすことを考える。

裕福になって、贅沢で愚かな心で生きることが、この意識体が生まれた理由とも思えない。

また、とにかく高校大学そして就職して、ガキのころと同じルーティンを生涯繰り返すということでもなさそうである。

宇宙を探究して、他の惑星に移住することを考えるなんていうようなバカなことにも意味は無さそうだ。

 

このような人間観は「サタニスト」の思考である。

 

人間が人間である理由、私が私である理由を考えさせないで、隷属させるのがサタンである。

サタンは誘惑がうまい。

そんな誘惑に多くの人がハマっているから人は苦しくて不安から離れられない。

 

人間が人間である理由、私が私である理由を考えて、新約聖書のルター的考察のように、「人間には等しくすべてに神の恩寵があって、天にふさわしくなっていくのが存在理由だ」と現実を見れば、キリストのように「愛に生きる中でサタンを抑え込む奇跡が生まれるのである。」

 

お金という「真面目に生きていても増えないもの」「人を騙したり困らせることができるなら比較的簡単に手に入るアクマの報酬」をまずは考えている人たちには、永遠にわからないであろう「神の恩寵」のなかで「愛を施し合う世界」を身近な処からでも作っていくことが、「神という第一原因によって創造された私」の存在意味であろうと実感する日々である。