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2023-06-28 02:02:00
神の心を知る‼️
浄土真宗(お西)で、「阿弥陀仏の想いは人間の心を超えているから人間にはわからない」という。
「悟っていないものに悟った者の思考」はわからないというのです。
しかし、実際には「普通の人間同士でもわからない」というのが本当のところでしょう。
じゃあ「神の心」はどうでしょうか?
それを知るのが、「バイブルと祈り」といえるでしょう。
たとえば「家族などを失った」とします。
「なぜ神は私たちをこんなひどい目にあわせるのか?」
っていう「怒りや嘆きを込めた思い」を抱くことは普通なら必然でしょう。
ここで「阿弥陀仏」に「なぜこんなことが起こったのか」と聞いてももちろんわからないでしょう。
じゃあ「バイブルに答えがあるのか?」といっても、具体的にあなたに起こったことの回答が書かれているわけではないのです。
最近私にも「59年生きて最悪なこと」が起こりました。
もちろん「気持ちは嘆き、切なく悲しみに落ち込み」ました。
そして「この事柄」に、世間一般と同じ対応をしましたが、その最中に、なぜか「この対応をジャマすることが起こり」バイブル読み、「祈り」ました。
日本人は「祈り」というと「〇〇になりますように…」というふうに「自分の願いや思いを〈神〉などに向けること」だと思っているようですが、
キリストの祈りは、いわば神との対話であり、「この出来事や現実をどう理解したら良いか」という、神の思いを知るというのか、示唆を得ることなんです。
そこで私は「示唆」そ受けました!!
私はその通りに実行しました。
すると現実はみるみる変化していき、一般的な対応をしていては受けられない、普通の常識で言えば「奇跡」といえるような変化が起こって、その状況からさらに神への信仰が深まっていくのを実感しています。
人間は、たぶん「常識的対応」を超えることを知らないために、いろいろな苦を体験して、その苦を超えることを知らないのではないかと思うのです。
こういうことを書いていると、私が仏教から完全にキリストに転換したと思われるかもしれませんが、仏教もキリストの内だということも言えるでしょう。
ごめんなさい!!
日本のお坊さま方!!