インフォメーション(日々更新中)

2023-02-16 00:25:00

飛脚が2日で東京京都を走れた理由‼️

日本人は発酵食品民族でした。

それが戦後だんだん本当の発酵食品が激減して、

肉や野菜を食べていますが、

それでは飛脚のように走れないのだそうです。

私も勧められてダイエットと持病に食べ始めたら、

生活習慣はほぼ変わっていないのに、いい感じに痩せてきて、

夜食とかいらなくなったんです。

また身体軽くて快調です。

みなさんも日本人のDNAにある酵素発酵食品を 食べられてはどうでしょうか‼️

7247FA28-70F3-403B-8826-6BE66DC35D8B.jpeg

 

ピュア酵素(ブラジル産8年熟成)

2023-02-08 01:41:00

中国の仏教!現代の高僧‼️

https://youtu.be/DxfNkFl03Bw

https://youtu.be/DxfNkFl03Bw

これむちゃくちゃスゴイこというてます!

いわゆる「性」のことじゃなく、仏の智慧によって「自性清浄であることを深いレベルで認識することが良い現実を生むということ」を仏教と量子力学で説法しています‼️

たとえとして、映画のフイルムが1秒を24枚で表すとして、私たちはその24枚分の1枚すら見られないように、あっという間に何兆年もの月日が経つと「弥勒菩薩」は教えているといい、量子の波動力を業力と言い換えて、私たちの「いのち」が業力によって六道を虚しく過ごす輪廻から、釈迦や先師のように脱出して、いま「念を清浄に保つようにして清浄世界を現実に見ていけるようにしよう」と呼びかけます。

ここで、量子力学がいうように「超弦理論」の「観測すると状態が変わる」というのは、「念の動き(心理)が先に動いて現象が生まれる」ということと同じであるけれど、一般に「現象が先にあるという誤認をしている」のだといっています。

「念を仏において、清浄な現象を生むことが仏教であり、これは宗教ではなくもはや科学である」というような説法をされています!

2023-02-04 21:39:00

西本願寺が…?

西本願寺は皇室との関係がじつはあって、

明治政府が「すべての寺を亡くそう」とした時に、それを阻止してもいます。

そして日本を議会制で動かせるかというテストケースに使われてもいて、

じつは政治とは深く繋がっていました。

それが戦後そういう力を失ったかのように見えていますが…

こんな情報が上がってきました。

西本願寺は、ウラでは神道との関係も深いので、

あながちフェイクではないかも知れません。

動きを見ていきましょう!

81707BD0-864F-4A17-B14B-2F9EEFF0D25C.jpeg

2023-02-03 18:44:00

表に‼️

1D20D655-FD50-499A-82A5-DF50B9B720CE.jpeg

2023-01-24 04:46:00

本来はそうなのだ‼️

養老氏のお話に、「昔はギターとか持った流しのひとが飲み屋に来て、自分の下手な歌にでも合わせて弾いてくれた」

「いまはカラオケに合わせる時代」

つまり人間が機械に合わせて生きることが当たり前になっていて、本来は人間に合わせた機械がある方が自然なんだ!

という内容のお話がある。

 

私も陥りがちであるが、「量子力学と仏教は同じ内容をいっている」といった説明をすることがあるが、仏教を科学に合わせる必要はないのだとわかってきた。

そうやって現代人に理解を促そうとする私自身も科学に合わせて生きようとしているのだろう。

キリスト教はおよそ科学に合わせる性質を持っていないどころか、人間や神の生々しい事実から始まる。

これを「事実じゃない」という人は、この先を読んでもらわばくても良い。

とにかく人間が把握している世界も何もかもが「脳」の産物といえるし「脳由来」である。

認知症になれば、およそいまの世界は大きく変化する。

兎にも角にも、いま私たち人間は、いかに生きていかに死すかという命題に取り組むしかないのである。

それを麻痺させるために、資本主義カルトの悪魔の教えがあったり、科学というどこまでも不確定な教義がある。

資本主義教、科学教というまことしやかな世界に取り込まれて、「引き寄せの法則」だとか言いながら、誤魔化しの中を生きている。

こういう人間の真実を神目線で「無茶苦茶な神が、贖いを持って人間を愛するキリストとして現れ、神の愛を生きること」を教え、死せば天国に行くと教える、

仏教でも「阿弥陀仏」というおよそ信じがたいものを信じさせようというのではなく、「仏を念じる=悟りに心を据える」ことが、「何者にも揺るがされない自己」「ブレない自己」を作り、周囲に功徳という影響力を持つものになる。

という現実をどうみるかという「観察(カンザツ)」という観点視点を教えているのである。

これは、共産中国にありながら「ナモアミトッホ(南無阿弥陀仏)」を生きかつ説き続けて来た「浄空法師」の人徳を見ればよくわかる。(ここに以前紹介した)

つまり、教えは「人間に寄るのであり、科学や機械に寄るのではない」のだから、純粋にそこを見ればいい。

その世界観を生き、その世界観に死すのである。

しかし、資本主義や悪魔の教えに毒された人間はその観点から逃げようとするのだ。

所詮「信用できるのは自分だけ」といっても、いつかはさまよっていることに気づくか、崩壊してしまうだけのこのわずかな「脳」でしかないのにである。

いま世界はキリスト教プロテスタントによる統治に入ろうとしているようであるが、これは好ましいことだと思っている。