インフォメーション(日々更新中)
2023-07-29 18:48:00
部外者から!
仏陀は、いのちも何もかも「無常ゆえ無我」といいました。
つまり私という主体自体が幻想なのです。
けれど、阿弥陀如来という「方便の我」があって、私たちはその方便の「我」に、浄土という「方便の器世間」に導かれるということですが、「現生」も「妄念により認識されている器世間」ですから、教えのすべてが「妄念と方便」でなりたっているのは間違いないわけで…だから、一部の念仏者意外は絵空事のように「教えを語り」生きようも偽善的で愚痴に堕しているように実感するんです。
もともと寺生まれでも、真宗門徒でもなかった私は、得度の時から「疎外感」があり、布教使としても「一匹狼」にならざるを得ませんでした。
しかしなんとかやってきましたが、ええ加減都合よく利用されてるだけの状態がしんどくなっています。
布教の現場で「ちゃんとした話」よりも「お笑いや人情噺」を求められて、「ちゃんとした話」をすると「難しい」といって、住職さん自らが底上げをしようとされないことから、寄って集まれば経営の話しか、どこの坊さんがどうなったというような宗派内の世間話ばかりで、聞いててしんどくなるので、なるべくそういう集まりに出ないようにしていると、参加しないというペナルティのような扱いをうけるわけです。
どうぞ僧侶のみなさん、自浄作用と底上げを考えられますように、もともと部外者から僧侶になり布教使になったものからの観点を記述しておきます!!
2023-07-17 23:16:00
クリスチャンと「仏教徒⁇」‼️
私は、私がいままで「否定的にみていたひと」さえも、すべて神が創造されて「神に愛されているひと」だと心から思えるようになった時から、私の見ている世界やひとが変わってきています。
そして、ほんとうのクリスチャンはみんなそうなんです。
私が知る身近なクリスチャンに、一般的な「性格悪いひと」は見受けられません。
私が知る仏教徒には、そういう人は多いですけど…!!
これはあくまでも仏教批判ではなく、事実を記述しているだけです。
「クリスチャンでも性格悪いひと」もいるのでしょうが、その人はたぶんほんとうのクリスチャンではないと思います。
だからって「カルト」のようなクリスチャンでもありません。
鳥取の牧師さんや教会メンバーは「坊主然としていた私」をも大事に思って、昨年の私の病気をズッと案じてくださっていました。
陰謀論でいろいろ言われてるある有名どころのメンバーさんが私の親友にいますが、ホンモノのそういう人たちは、いろいろな人たちや私のことまでも大事に思ってくださっています。
例えばその人は、坊主である私が「今日檀家(門徒)さんが亡くなって、お葬儀なんです。」なんていうと、「それはお辛いですね」って普通におっしゃいます。
「檀家や門徒というメンバーが亡くなる」のですから、クリスチャンやそういう神を信じる人たちからすれば、その死を悼むのは当然なんです。
坊主である私は「葬儀をどういう日程でどうするか」とか、お布施がどうとか、そんなことしか考えてはいませんでした。
(ほんとうにお恥ずかしい😱)
もちろんステキなお坊さんも多いものです。
ただ、仏教でいえば「一切衆生」は、とにかく情のある動物(有情)でしかない。
人間も動物も「無常であり無我な存在」だから、それを悟らせる利他をしましょう!!
って言っても、親鸞さんが「人間は所詮悟れない」から、阿弥陀仏に任せて「あるがまま」でしかないんですなんていうように開き直ったようなありさまだから、「愛がない」んですよ。
もちろん親鸞さんがどう思っておられたかなんてわかりませんが…!!
「神が創造されて神にいただいた命を互いに生きている」って思うと、イヤなひとがいなくなるんです。
イヤなひとがやってるイヤなことは「アクマ」がさせているんだから、その人を嫌がることはないんです。
この辺が仏教では、「煩悩がさせてる」ってなるので、「イヤなことの原因がその人」に帰属するんです。
だからその人がイヤになる。
憧れの人がやってることも、そのひとに帰属せずに「神による」と神を讃美することができる。
そのひとに帰属するとその人をカリスマのように思ってしまう危険もあるわけです。
カナメは「所詮人間のこと」と思って生きるか、「神による広大で永遠な観点から創造されたひとやこと」と信じることができるかどうかということだといえるんじゃないかって思うんです。
「神やアクマとかわからん」っていうのは、普通に人間界を生きてたら思うのは当然です。
だから人間の境界を越えられないんだなぁって今さらながらに思うんです。
「オマエはなんちゅうわけのわからんやつや!!」
って思われるとは思うのですが、それが普通であり当然だと思います。
ただバイブルに回答があるようですよ(微笑)
2023-07-14 03:57:00
愛の世界へ!!
世界を動かしている者は「神」である!!
いま大変革を遂げようとしている世界を動かしているひとは「バイブル」によって生きている人々です。
そして今までもそうでした。
つまり神が世界を創り動かしてきているのです。
みなさんの中には、世の中は政治が動かしている、お金が動かしている、と思っている人や、権力が動かしていると思っているひと、陰謀によって世の中が動いてると思っているひとなんかもおられるかも知れません。
しかし常にどんなもののうえにも神が存在しているのです。
そして、愛の世界の実現が近くなっています。
愛を理解できず、チカラによる者は終わります。
お気をつけください。
そこで淘汰されませんように…!!
2023-07-12 20:45:00
永遠なるひと!
みなさん!
ビッグバンっていうのはホントにあったんですか?
引力はありますか?重力はありますか?
あなたが見てるものを他の人もそのように認識していますか?
あなたは周囲からあなたが思うようなあなたとして見られているのでしょうか?
海が好きですか?山が好きですか?
なぜ絵画を描いた時、描く人によって違うのでしょう。
以上、バラバラな観点から事例を挙げましたが、私たちはひとりひとり認識が異なっているのです。
なので、死ねば終わりと認識しようと、永遠に生きると認識しようと、同じなのです。
あなたの家族で誰か亡くなって、その方が永遠に私を導いてくれるっていうのはありなんです。
記憶の中にその人がいて、記憶と現実のはざまで、その人が生前に言いそうもやりそうもなかったことを記憶とともに私にメッセージしてくれるという事は普通にあるのです。
そして、その人を知ってる人たちからしても、メッセージを感じようとどうであろうと、思い出せる限り存在します。
そしてそれが永遠な存在というのは、その人を覚えている人はほぼ50年もすればいなくなるので、「覚えている人が存在する間、記憶にある限り永遠」ということになります。
歴史に名を残せども、人類みんなが知ってるわけじゃないし、そのうちその名声を上書きする人が出てくれば自然に消えていきます。
短く文字にすると難しいようですが、むちゃくちゃ単純な話です。
こういった観点からしても、死者を大事に思うことは有益であり、さらにその方が神仏などの高次元にいると思うほど、思っているあなたが、自分でその方からメッセージをもらうようになって自己成長することができるようになるんです。
宗教はそういう意味でも重要なんです!!

