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2023-05-11 00:43:00

浄土真宗とネガティヴ情報‼️

浄土真宗を知るみなさんも、そうじゃないみなさんも、

浄土真宗の教学では、全人類は「煩悩にまみれた極悪人」だというのです。

そしてそういう私だから、阿弥陀さまは私が願う以前に、私が救われる法を成就しているので、その阿弥陀さまの願いがどういう理由でどのように成立したかという、仏願の生起本末を聞いて疑わないことが肝要だと言います。

 

ここで私などは、「無理に現代人が自らを極重悪人と思う必要はない」と考えます。

「お前は仏陀じゃない」と言われるのなら、そもそも浄土教は仏陀の所説ではありません。

 

私が「無理に自分は悪人だ」と思う必要はないというのは、実は人類は良い方向に進化していて、この2023年から25年までに、人類はもっと高次元に上昇するのが見えているのです。

もちろん見えない人もおられるでしょう。

そういう人はネガティヴな情報に踊っています。

 

そういう情報によって、世の中がどんどん劣悪になってきているという見方をされることも多いですが、実際は逆です。

この2016年ごろからのアクマのディープスティト(DS)の支配が終わって、人間は智恵や愛という方向に舵を切っています。

 

また浄土真宗の布教で「父を殺す」などの五逆(五つの大罪)について、「心で親父が死んだらいいのにと思うことも五逆になる」と言いますが、これは完全に経典の読み間違いです。

 

経典に「思うて父を殺す」とある「思うて」というのは「計画的に」「確固たる意思の上で」という意味なのです。

 

そんなにみんなで自分の命を「悪人」といって暗いところに陥って、そんな暗所から如来を見なくていいんです。

これは「自我に執われるものに、機の深信を説いて、我執を破っている」だけなのです。

 

我執を破るという点でいうと、この2016年ごろからの人類は我執に美徳を感じない、自然との共生や人間関係のより良き考察は各方面で行われています。

アフガン戦争も米軍の撤退によって終わり、ウクライナのフェイク情報に騙されている人は多いですが、真偽はわからなくても、ひとを殺して喜ぶようなサイコパスは減っているようです。

 

いずれにせよ、「私たち人間は、とにかく永遠に極悪人である」という「真宗の機の深信」で自分はとことん悪人であって「下の下の存在である」というのは、与えられたいのちを傷つける教えといわざるを得ません。

 

なので、この、どんどん良くなっている人間性や世の中を観察せずに、悪いところばかりを見るようになると、明るい人生、輝く命なんて生きられないんです。

 

「死の縁無量」だから、明日死ぬかもなんて思って生きていると命は萎えていくものです。

そういう命のあり方を仏教は説いているわけではありません。

 

仏教の基本は人間苦の解脱というのがそのテーマであり、「八正道」の中道こそが、苦悩の解脱を可能にする教えであり、十二縁起を苦から解脱した悟りへのプロセスだと教えています。

 

少し専門的になりますが、「本覚思想はヒンドゥーであり、仏教は始覚思想である」ことを忘れると、なんでもありになってしまうのです。

 

私は、どうもお西の本流が、「我々は生涯に渡り、煩悩の極悪人である」と言いきっていることに違和感を覚えるのです。

 

浄土真宗がネガティヴ情報にならないように願うものです。

2023-05-08 07:39:00

次元上昇‼️

世の中が次元上昇している中で、世俗も僧侶もみんな相変わらずの次元を生きてらっしゃる。

 

まぁ情報が入らないから仕方ないっていうことにはならなくて、そういうところを生きてるひとほど何かをお感じになるものと思われますが、何にも意識は変わっていない。

つまりもうすぐ落ちてしまう側におられるんです。

 

私ごときがこんなことをいっても、「いよいよ狂ったか」と思われるのがオチですね!

 

なので、どんどん周囲から人がいなくなっています。

それは物理的人間のことじゃなくて、次元の低い話しやDSに洗脳されたままの意識レベルの人がほとんどなので、申し訳ないですが、アホらしくてついていけません。

皆さん、世の中がこんなに良い方向に上昇しているのにネガティブな情報ばかりみ聞きしていては。地球人類の次元上昇についてこられませんよ‼️

 

いま何が起こっているか、レクチャーもいたします。

また相談等も受けつけています。

お気軽にともに5次元に上昇しましょう‼️

2023-05-06 01:59:00

弱いものが信じろ?

日本人は「宗教」について誤解しているようです。

「私は宗教に頼らなくても強く生きて行ける」

「死んだら終わりだと思っているので、宗教は不要です」

「私は神も仏も信じていません」

と言ったことを大概の方は仰います。

 

しかし人間について深く教えている宗教は、そういう安易なものではないので、宗教は「人間をさらに高い次元に引き上げてくれる内容と力」を持っています。

 

宗教を最近では「カルトかそうじゃないか」「古い宗教か新興宗教か」「歴史に根付いた神社やお寺に、正月やなんらかの日本の慣習で使う」と言うほどにしか考えられてはいませんが、

 

宗教も、まともな宗教にも言えることですが、誰に学ぶかと言うことは大きなポイントだと思います。

 

また、まともな宗教のような「キリスト教、仏教など」においても、宗派の違いは大きいですし、同じ宗派内でも結局は誰に学ぶか、と言うことは大きいのです。

 

小学校から大学においても、あなたが誰に学んだかと言うことはあなたの人生の道筋において重要だったはずなのです。

 

宗教についても、弱いから、信じるからといった感覚で捉えることは間違いをおかしてしまいます。

2023-05-05 03:03:00

救い‼️

津田沼福音ルーテル教会様のYouTubeから。

 

今日4月30日のYouTube見ました。

学生さんの証を聞いてて、自殺した彼は救われているのかという問いから思ったことを記述します。

よくキリスト教の救いは天国にいくことって聞くのですが、これは、仏教の浄土教でいう「死んだ人は極楽浄土に救われる」というのと同じ構造で語られているように思います。

そこで、浄土宗は「阿弥陀仏」に死んだら極楽浄土に救ってくださいというお願いとして念仏するといい、

浄土真宗は「阿弥陀仏があなたをすでに迎えていると生きている今からすでに極楽浄土に行くことが決まっているので、そのお礼として念仏するのだ」というのが西本願寺の主流です。

このアホな主流は「だから天国なんていけるかどうかわからないものを信じるキリスト教はレベルが低い」というようなことを平気で言います。

しかし私が学んでいて、とにかく天国や神の国は、高次元領域を意味していて、信仰によって自己の精神領域がより高次元になることを救いというのだと思っています。

そこで関野さんの羊飼いさんとのコミュニケーションで我々と違う世界観で生きるひとを知って、関野さんの次元が広がり高くなっていったと思うのです。

キリスト教における救いは、このように救い主キリストによって、さまざまな縛りをとっぱらって次元上昇することだと思うのです。

なので、死者についてもキリストは見捨てることなく救っていると考えて、人間が見ている地上のことを超える救いがイエスの救いであると思うのです。

自殺しなきゃおられない人もいます。

以前私の義妹も「アスペルガー定義」の中で、

施設はもちろん、家族ともコミュニケーション不全を起こして45歳で自殺しましたが、人間界で、私も医師も誰もどうしようもなかったことをイエス様にお預けさせていただいたと思っています。

クリスチャンはしんどいことをキリストが背負ってくださるという中で、イエスキリストの観点を聖書に学んで、次元上昇することで、生きるのがいい意味で楽になっていくって実感しています。

そして天国は神次元そのものの世界だと言えるのではないでしょうか。

チグリス川、ユーフラテス川あたりにあったとされる「エデンの園」も地上であるような当時は神次元だったのかも知れません。

なんか、学生さんの証をお聞きして、救いの意味を改めて記述してみました。

ご無礼お許しください。

2023-05-04 04:18:00

私の存在理由‼️

初めに量子があった…。

そこからビッグバンが起こり、宇宙は広がって行った。

っていうと、ほとんどの現代人は「そのまま受け入れる」だろう。

 

では、初めに神があった、そこから世界と人間と言う広がりに発展した。

っていうと、ほとんどの現代人は「疑問を持つ」だろう。

 

しかし論理的にこれは同じことをいっていると気づく人は少ない。(多分)

 

なにが同じなのか。

これはどちらの文章も、全ての始まりにある「第一原因」はそのよって立つ「原因」を持たないのである。

 

「量子」も「神」もそれがどういう原因から成り立つのかということをほぼ問うことはない。

(もちろんそれを問うことで、第一原因は存在として成り立たないという哲学もなくはない)

 

しかし「存在はその存在によって存在が決定される」ので、「私のみならず、私の目の前のパソコンは、私によって存在が決定されている」わけである。

 

では、「私は、なにを原因として私たり得るのか」と言うと、まずは「親」であろう。

親に○○ちゃんといわれ、周囲の人たちからさらに私を私として存在決定する人の世界が拡がっていく。

 

では、その「親」の存在を決定してきたルーツをたどると、原人になるのか、アダムとイヴになるのか、といった様相をもつが、究極、「人間が存在する場としての地球や量子場の因はなんなのか」というと、「神や量子そのもの」がすべての存在を決定する第一原因に他ならない。

 

そしてその第一原因を超える原因が決定される事がない以上、それらが第一原因であるとしか言えないのである。

 

そこでそれが「量子」ならわかるが、「神」はわからない。

と言うことになるだろう。

 

量子は科学で、神は人間の創造物だと言う人がいるが、まだ超弦理論を超える量子の状態を説明できてはいない。

「科学者同士が暗号のような数式でわかり合っているように思っているだけ」と言えなくはない。

 

なので、物理学では「天才」と言う表現がよく使われる。

多分、アインシュタインやホーキングさんのいってることを理解できる人がほぼいないと言うことだと言えるように思う。

 

しかしその数字という文字で表されている内容が、人間の創造であることは「神」以上に決定的である。

 

しかし、「神」は人間が創造したということを決定づけることはできない。

なぜなら、「神がいないこと」を決定できない上に、神によって創造された「私の存在」は決定的であるからである。

 

つまりは、「神以外にすべての第一原因とすることができない」ということなのである。

 

このように「存在の因果」を考察していくと、神にスタートしているとしか言えないのである。

すべての第一原因は神しかないといえるのである。

 

そもそも、この宇宙に「私という意識体」が存在している不思議なことが「その理由を探究すべき意識体としてある」としか言えないと思える。

 

ただ無駄に寿命を延ばすことを考える。

裕福になって、贅沢で愚かな心で生きることが、この意識体が生まれた理由とも思えない。

また、とにかく高校大学そして就職して、ガキのころと同じルーティンを生涯繰り返すということでもなさそうである。

宇宙を探究して、他の惑星に移住することを考えるなんていうようなバカなことにも意味は無さそうだ。

 

このような人間観は「サタニスト」の思考である。

 

人間が人間である理由、私が私である理由を考えさせないで、隷属させるのがサタンである。

サタンは誘惑がうまい。

そんな誘惑に多くの人がハマっているから人は苦しくて不安から離れられない。

 

人間が人間である理由、私が私である理由を考えて、新約聖書のルター的考察のように、「人間には等しくすべてに神の恩寵があって、天にふさわしくなっていくのが存在理由だ」と現実を見れば、キリストのように「愛に生きる中でサタンを抑え込む奇跡が生まれるのである。」

 

お金という「真面目に生きていても増えないもの」「人を騙したり困らせることができるなら比較的簡単に手に入るアクマの報酬」をまずは考えている人たちには、永遠にわからないであろう「神の恩寵」のなかで「愛を施し合う世界」を身近な処からでも作っていくことが、「神という第一原因によって創造された私」の存在意味であろうと実感する日々である。