インフォメーション(日々更新中)

2022-03-21 19:41:00

記憶‼️

心理学でも、脳科学でも、「ひとの記憶はあいまい」であると言われる。

そういう意味で、警察の尋問などで「冤罪」も起こりやすい。

 

犯罪に巻き込まれて、とにかく「尋問」から逃れたくて、「やったかも知れません」といって、

これを裁判で「覆そう」としても、

じつは一般的な裁判が「テレビで見るような」検察と弁護士のやり取りがあるなんてことがない

ということを知らずに、裁判に臨んで「やったと言いましたが…」といった時点で有無を言わさずに、

「有罪確定」なんてことはザラにあるのだ!

 

日本は通常の場合には、「3分間裁判」といわれるように、

あらかじめ、検察と弁護士のやり取りがあって、回答は準備されている。

裁判官の前に出て、開口一番なにをいうかということが重視される。

 

まぁ記憶についてはこういった「たいそうなこと」以上に、

日常的に「無意識に上書き」するケースも多い。

 

「あなたが〇〇が欲しい」っていうから、プレゼントをこれにしたのに、

あんまり喜んでへん見たいやんか…

なんてことや、「あの時あなたが〇〇がいいっていったんやで…」とか、

トラブルのネタになるような記憶の上書きっていうのは結構あるものだ!

 

あなたの記憶はほんとうに間違いないか…

なにか、コミュニケーション上の問題があるときには、

そういう観点も必要ではないかと言えるだろう‼️

2022-03-21 03:38:00

奇跡を証明する‼️

【奇跡について】

バイブルに書かれていることは、とにかくまずはそのまま読むんです。

幻覚かもしれないとか、これは譬喩だといった解釈をしないで、とにかくそのまま読む!

そしてそのまま受け入れていると、それが書かれている通りだとわかって生きている次元が上がるタイミングがきます。

 

つまり「神」の存在を証明しようとすることと、「奇跡」を証明しようとすることが同じ次元にあって、その証明にとくに意味はなく、そのバイブルの教えを受け入れた時に、私がそういった、狭い人間の観点で生きている状態から、その奇跡を受け入れた自分に起こる次元の変化に意味があることが重要だとわかってくるものです!

2022-03-21 03:13:00

神の存在証明‼️

「存在を信じる」「存在確認できたら信じる」ってなんでもいいんですが、「私は存在」しますか?

 

「私はあらゆることを疑ってみたけれど、疑っている私の存在は疑えない」から故に我あり!

 

というのがデカルトの「我思う故に我あり」という意味なのだそう…

 

しかし、そもそも「私」って誰なんでしょう。

そして「存在する」ってどういう状態のことを言うのでしょう。

 

存在確認をしようがどうしようが、その確認になんの意味があるのでしょう…

 

「幽霊を見たから幽霊はいる」っといってみたところで、「そう言う幻覚」はあらゆるところであらゆる人が経験することなので、「見たから“いる”」は成立しません。

 

「幽霊らしきものが“心に住み着いている気がして”気持ちが落ち着かない」ということなら、心の迷いや問題として取り組めることになるでしょう。

 

そこに「幽霊の存在は必要ない」のです。

問題は落ち着かないという「あるひと」の状態にあるからです。

 

「神は存在する」と信じるから「バイブル」を大事にする。

というのではなく、「バイブル」に書かれていることが、私にいろいろな影響を与えてくれるので、「神は真実なんだと思って生きていく」という方が自然です。

 

バイブルの中には「信じがたいような奇跡」もありますが、バイブルを大事に生きていると、その奇跡がわかるようになるということだと言えるのです。

 

聖書が世界中に与えている現実があり、聖書を読むひとに大きな影響を与えるからこそ、真実と言えるのです。

 

「神」などの存在証明は必要はないのです!

かえって、余分な努力に無駄な時間を割いてしまうようなことになるでしょう!

2022-03-19 00:03:00

選ぶという重要な分岐点‼️

マタイによる福音書から

5多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。 6また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 7民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 8しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。 9そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 10そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 11また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 12また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。 13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 14そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

15預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、

16そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 17屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 18畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 19その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 20あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。 21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。

22もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民(選ぶもの)のためには、その期間が縮められるであろう。

23そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 (ここに真の救いがあるとまやかしを言っても)

24にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。

25見よ、あなたがたに前もって言っておく。 26だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。 27ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。 28死体のあるところには、はげたかが集まるものである。 29しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 31また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。 32いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。 33そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

34よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。 35天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。 36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

37人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 38すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 39そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

40そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。 41ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。 42だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 43このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。

44だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 45主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 46主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。 47よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。 48もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、 49その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、

50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、 51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

1 2