インフォメーション(日々更新中)
2020-05-23 09:53:00
SDGsって国連が決めたんですかぁ。。‼️
SDGsって国連が決めて、「食品ロス」をなんとかしようって動いている日本人が多いみたいだけど、
ほとんど「冷凍加工食品」だったりする。
「材料よくわからない、薬品漬け、遺伝子組み換えまくり」といった食品の廃棄場に、
日本はされているように思うのは、わたしだけだろうか?
こんなことを書けば「嫌われるのは仕方がない」にしても。。
これから「食物アナフェラキシーショック」が増えることだろう。。
2020-05-23 09:41:00
引用から‼️
人にとって最も辛いことは人それぞれですが、その辛きことは必然の中で発生してくることを知ることが、人生の成長の第一歩となります。
人生論で言えばその辛い経験は必ず自分にプラスとなり、苦しいことや悲しいこともそのまま自分の糧になっています。
だから無理に悲しむ必要はないし、その辛きことを正面から見据えて生きていけば、その時こそ真の喜びを感じる場面が訪れます。
あなたが怒りを表現できないのは、あなたが無能だからではなく表現方法を知らないからです。
言い方を変えれば適切な言葉を知らず本当の行動を知らないからこそ、あなたの怒りは制御することができず自分に返ってきます。
怒りは世界を動かす原動力の一つですが、一方負のエネルギーでもあるのでどのように動かすが重要です。
優しさだけがこの世界を動かすのであればすでにこの世界は神の国でしょう。
残念ながらそうではありません。
そして喜怒哀楽は人間にとって普遍的感情であり、どれが善い悪いというものでもありません。
苦労すれば必ず報われるわけではありませんが、多くの人は苦労した分成功の喜びを手に入れる可能性が高まるでしょう。
その苦労を喜びや成功に変えるにはいくつかのコツがあります。
惨めな自分を根っから否定して真の成長につなげることも、教育の基礎を記憶ではなく思考にシフトすることも、苦しくても隣人と笑って酒を飲むことも、お金という価値観と常識という価値観を捨てることも、もしかしたらそのコツの一つかもしれません。
不幸に生きていると思っている人が一番不幸です。
不幸の境遇にある人は実はあらがえる強い環境を与えられた人でもあり、強い自立力を身に着けるチャンスを与えられた人でもあります。
戦争を経験した人の多くは強く生きている人でもあります。
世界中の戦争を経験した人と現代人とどちらが不幸なのでしょうか。
鬱になることさえ人生に与えられたチャンスであり気付きのきっかけ。
そう考えれば今の時代を生きている飽食と不自由なく見える私たちが、最も不幸な生物なのかもしれません。
一人だから悲しかったり不幸であるとは限りません。
どんな人にもこの世で一人くらいは理解してくれる人がいるでしょう。
理解だけを求め理解する人がいない世の中で、一人の理解者がいればそれで幸せだとは思えませんか。
あなたは孤独ではなく孤独というならすべての人はまた孤独です。
孤独だから、問題が起きた、理解されない、周囲からの抑圧、不運の連続、そんなものは実は枝葉末節な話にすぎません。
それに動じないよう成長していくのが生きる一つの目標であり、そこに必要なのは努力ではなく我慢でもなく、覚悟と自覚なのです。
自分の人生は自分以外の誰にもすすめることはできないのですから。
2020-05-23 09:33:00
2000年前からの宗教を現代科学で作り直したらどうなるか?という問いについて❣️
宗教といっても、それぞれさまざまであり、釈迦の初期仏教は欧米や東大では「宗教」というより「思想、哲学」に文類されているようですが、
さらにいうと「初期仏教」は、ほとんど「量子物理学や心理学」といっていいでしょう。
人間の思考についてのプロファイルをしている部分は「科学的な意味での心理学」ですし、世の中についてのプロファイルは「量子物理学」と構造は同じです。
そういう意味で2000年前にも、すでにあったと言えるので、現代では「大乗仏教」よりも「初期仏教」が日本の若い層を含め世界的に受けているようです。
2020-05-23 08:59:00
日本人は無宗教ではなかった‼️
日本人は無宗教ではなかったということと、欧米の宗教観!
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現代の人には「ピンと来ない」かもしれませんが、日本は戦後昭和20年まで「天皇」が「マジ神」であり「人間として現れた、現人神(あらひとがみ)」だったのです。
それが「敗戦」によって「マジ人間宣言」を国民にしました。
そこで日本人の多くが、「神を失った」という「絶望感」を持ち、宗教に否定的な人が多くなったのです。
その後の「学生紛争」は、宗教ではなく「主義(イデオロギー)」紛争であり、そこにおいて「宗教はさらに否定されていく」ことになりました。
とはいえ「江戸時代に制度として作られた檀家」という制度は保たれたままだったので、「家の宗教宗派」ということで仏教が受け継がれており、
明治からの「神社の氏子制度」というところから「神社」も守られて来ています。
また「大本教」などの、ユダヤや外国の勢力を裏にもった宗教が、多くの新興宗教を生み出し、創価学会といった「貧、病、争」の解決を打ち出す宗教に入る人も多く、
さまざまな古い宗派と新興宗教が、昭和期には、競っていたものです。
このような歴史的いきさつのなかで、昭和20年以後「無宗教」を誇る国民性になったのです。
これは、戦後の人間宣言とイデオロギー闘争による「学生紛争」によるといえます。
しかし、欧米では宗教がなくならないのは「民族性」もありますが、宗教がその人の「属性」を表し、それぞれに「主張がある」からでもあり、
「神を信じる、信じない」よりも、属性による立場を明確にしているのです。
そういう意味では、欧米の宗教観と日本やアジアの宗教観は全く違うものなのです。
日本は「基本的に単一民族、島国、定住民、鎖国、封建制度」などによって、現代でも属性や主張がないので、
とくに「ご利益程度」にしか宗教を考えていないため、宗教の深い存在意味を知らずに「無宗教」を誇っているのです。
以下Quoraへの回答
2020-05-23 08:58:00
釈迦はなにを瞑想してたか🧘♀️
以下読んでみてください‼️
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釈尊が、なにをどう瞑想していたか?ということは誰にもわからないといえますが、
その後の教えから推察するに、無常無我、十二縁起、四諦八正道などが根本教説である以上、「真理についての思考」をしていたと考えられます。
「ひとはなぜ苦を抱えているのか」「どうすれば苦がなくなるのか」という「大命題」についての「論理的思考」だったと考えなければ、
その後の教説の根拠になりません。
「八正道」なんか「正見、正思、、」なんていうことからスタートするのですから、「正=智慧」と考えなければ、「中道」さえも意味を失ってしまいます。
いずれにせよ「その思考は論理的であり、感情的なものではない」ということは、教説から考えても明確です。
人間の「前頭葉」をフルに使って、時代の常識や世間の価値観にこだわることのない「だれにも否定できない普遍的な真理に基づく論理について思考し、それをもとに苦を解決する方法を論理立てていた」と考えられます!
Quoraへの回答

