インフォメーション(日々更新中)
2020-05-15 01:23:00
議会中ぐらい寝かせてあげましょう❣️
わたしは「うたた寝」が多く、クルマの運転中でも寝てしまうから、、
高速道路を運転しなければいけないときは、運転を「お任せ」している。。
わたしが「国会議員」なら、ほぼ確実に議会中に寝ているだろう。
その眠気は「運転」よりも速攻に来るだろう。
国会議員を援護するつもりはないけれど、
けっこう疲れるお仕事なのです。
決めごとは「夜に決まっていて」昼間の議会はほぼ報告会でしかないから。。
「はーい、今からテレビ撮影入りまーす」って感じだから、
フリップまであらかじめ用意する演出ができるほど余裕があるんだから。。
緊張感なんてないだろうし、やっててもつまらないだろう。。
何時間座っているのか知らないけど、多分皆さんもあそこに座ったら眠くなるって思う。。
むかしのように「ヤジが飛んだり、暴れること」ができるなら、、
わたしもやってみたいって思うけど、
お上品に座って聞いてるなんて、ほとんどのひとにとって「苦行」だと思う。。
夜に真剣に「酒を飲みつつ決めるシーン」のほうには参加してみたいって思うけど。。
これって揶揄ったり、皮肉ったりしてるんじゃなくて、マジな話しそう思う。。
経営者やってたとき、「だいたい16時ぐらい」に相手先にいって、
とりあえずマジメな話しをして、18時ぐらいに終わらせて、
「じゃあいまから一杯行きましょうか。。」っていえば、たいがい相手もそのつもりしてはるから、、
「ほな行きましょか!」ってなる。。
ほんでもって、夜の接待で「だいたい契約オッケーをもらって」翌日「契約書」を持っていく。。
こういうのんが「モラルだとか、ルールだとか」でダメになった。。
ほんでもって「日本」もそんな頃よりダメになった。。
人間ってそんなもんじゃなかろか。。
だからよく出勤が遅くなって「社長出勤」だっていわれたけど、、
事実社長だったし、、
どんだけ「夜に酔いながら契約取ること」が大変か。。
でも、そこに達成感やシステムだけでは成り立たない「人間関係」が生まれたか。。
わたしは「議会中に寝ているひと」は一生懸命ストレス抱えてやってるんだろうなぁって思うけど、、
皆さんの基準とは違うようで、、
だってそうでしょ。。
「外国から期待されてること」と「国民にとって良きこと」を決めるって、、
むちゃくちゃ大変やて思いまっせ。。
「税務署」と「銀行」が見て、どっちも納得する「決算書」にするって、、
けっこうアタマ使うんやから。。
「オールマイティなひと」って、そうそう居ないでしょ。。
あっちこっちからいろいろいわれて、時には操られるなんていう「議員」っていうお仕事は「大変」やねんから。。
議会中ぐらい寝かせてあげませんか。。😊
2020-05-14 18:32:00
媒体布教使。。‼️
浄土真宗の西本願寺では「布教使」と書き、その他の宗派は「布教師」になっています。
あくまでも、阿弥陀さんの「使い」と定義しています。
また、偶像崇拝という文言は「礼拝の対象」であるかどうかというポイントで定義するので、「崇拝」の文言の持つ意味は軽いといえます。
親鸞の教行証文類においては「阿弥陀如来」は「真如(真理)から来生した」(如来の意味)と記述されているものの、
結果「無常無我(非我 )空」を体得するための「善巧方便」とされており、「文字をも知らない人に対しての方便である」「月を指す指」である。
という定義がされているので、礼拝の意味は「真理への屈服」というところに定義されています。
つまり「仏像」に礼拝しているのではなく、「仏像に示される真理への屈服」ということを通して「無常無我(非我 )空」を体得することを「真実心」を得る。
という構造になっていますから、「仏像への礼拝に見えるけど、仏像をシンボルとした、真理への屈服が、真実心を生む」という意味において、
「偶像崇拝」ではない。といえます。
そういう意味で布教「使」は、真理(真如)からの使いとされているのでしょう。
この点を、「媒体」と取る人がいて、「布教使は媒体だから、自分が信じるかどうか、行じるかどうかは関係ない」と言って、
「お礼はしっかりもらう」という欺瞞を堂々と語る人もいます。
わたしは「なにもしない媒体布教使」には疑問を感じています。
ご参考までに!
2020-05-14 04:57:00
現場の言い分‼️
今日「とあるサービス業」のお店にコンサルティングに行った。
経営者が言った。
「中神さん、現場のひとを育てるのって難しいですね!」
わたし。
「どういったことがありますか?」
経営者。
「現場にいない経営陣になにがわかるのか!」と言われるという。
じつはこれは日本にはよくあるケースである。
これは明らかに「現場側に知られたくないことがあったり、怠けたい、ウザい」といったところの発言である。
そういう現場のひとでも、「あなた(現場側のひと)の人生のなにを知ってるのか。。」
と思われる「占い師」に相談したりということはよくあることである。
「占い師は、ほぼ全くあなたの人生を知らないのに」である。
「占い」という神秘があると思っているのか。。
その時点で「あなた(現場のひと)」は本質がわかっていない。
当たる占い師は、およそ「人生経験が豊富」か、
「コールドリーディング」というような、話のもって行き方がうまいかの、、
いずれかであり、とくに「人生経験値」は大きい。
わたしが「カウンセリング」をしていても、「なんでわかるんですか?」と言われることがある。
これは「単純にわたしの人生経験値」から「相手の話しを分析してわかること」を言っているだけである。
つまり「仕事」においても「はじめていった場所」であっても、
およそ現場の問題や課題はわかるひとにはわかる‼️
だから最近わたしが「どこかの現場にコンサルティングに入るとき」には、
現場のひとには「まずこのこと」を、話すようにしている。
じつは、こういったことと同じ構図はあらゆる場面に存在する。
「政府はなにをしているのか‼️」という報道も評論家も国民も、
「政府のなにを知っているのか!」
スポーツ観戦で「あ〜ここでなんでこうしないかなぁ」と観戦していて選手にいうファンは、
「自分ならその場でその通りにできる」のだろうか。。
そもそも「観戦者はそこにまで(選手)に行き着かないレベルなのに」。。
少なくとも「そういっているあなた(ファン)は、その選手以上にはなれない」。。
日本の社会人で「現場にいない、現場を知らないひとに現場のことはわからない」というひとほど、、
わかってもいないのに「政治や社会問題や、何かにつけて」言いたいことをいっている。。
そのような「自己矛盾」に気づかないのである。
「現場を知らなくてもわかるひと」は「わかる」ものであり、
「群れる現場のひと」のように「無意味な批判だの評論はしない」ものである。
「わかるひとは、表面的な報道や情報には流されない」のである。
そして「現場にいなくても、その現場の問題や課題はわかる」ものなのである。