インフォメーション(日々更新中)
2021-07-23 01:34:00
行文類のカナメ‼️
教行証文類の引文において、
146–【13】に龍樹の引文に
「如来の家」について記述があり、
般舟三昧を父とし、大悲を母とする。
という記述があって、
その後、讃嘆門を中心に論が展開されて、証文類に至るまで天親、曇鸞の
五念門五果門の五果門において、
如来の家を宅門として、如来の部屋を見ることを屋門としているところから、
念仏門を如来の家として、そこを経て「薗林遊戯地門」で如来の家を出て教化することを
説いています。
つまり「行文類」「証文類」において「如来の家」を経て、世俗に出るという構造が明確にされています。
2021-07-16 03:19:00
最終決裁者‼️
「仏を念じる、神に祈る」とは
人間はその資質において、煩悩性があり、サタン性を持ちます。
ですから、何事を決めるにしても、
仏教でいう「法則性」、キリスト教でいう「神の言葉」によって思考することが「煩悩性やサタン性を排除して考えること」になります。
だから「人間が最終決裁権」を持たない、ということが重要なのです。
いままでの世界は「ロスチャイルド」が決裁権を持っていたので、
人間がおかしくなって「お金の奴隷」になったのです。
そこでエルサレムやトランプさんは、神による決裁権で世の中が動く世界を作ろうとしているのです。
仏教は「法則性」を説いているので、古典物理学や心理学などの領域を超えるものではないので、「キリスト教」ということになります。
ただしここで間違った「カトリック」ではなく、より正しさを求めた「ルター」による「プロテスタント」になるのです。
わたしの実家の福音派ルーテルがそれにあたります。
人間における最大の問題点が「思考の最終決裁者」なのです。
キリスト教の祈りは「その決裁を神に問うている」のであり、
神社などの「合格祈願」といった祈りとは全く異なっています。
2021-07-13 03:59:00
なにを食べますか?
エジプトのミイラから世界中のいろんな食生活をしていたミイラをCT、MRIで観察して、白魚のDHA食べてたミイラにも、みんなに動脈硬化が見られたって研究をやってたけど、食べたいものを食べて、病気を気にしなければいいのです。
お菓子よりフルーツというようになるべく天然物がいいですけど。。
なにを食べたいか身体に聞いて食べたいものを食べて、
病気を気にしなければ病気にならないものなのです。。