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2021-10-06 01:55:00

改革‼️

どうして改革は必要なのでしょうか?いつも思うのですが、耳に気持ちよく響きながら、その中身がわからないのです。

 

前向きと言う言葉を日本人は「今の状態よりも自分たちが理想とする方向に向かって進む事」といった無意識の定義をしているようです。私はこのことを、人間のDNAに刻み込まれた無意識のベクトルと思っています。そのベクトルを左右するのが、その人たちが生きている社会のトップないしはリーダーなどの主導権者の考え方にある価値観等であると思います。そこで人間が主導権者から無意識に埋め込まれているベクトルが、現状に満足すると言うベクトルであれば良いのですが、どうしても主導権者を良しとするので、前向きと言うことがまるで素晴らしく良いことのように教えられているのが現代だと思います。資本主義社会における日本などにおいても、利益を上げることが共通の理想だと錯覚させられているので、利益を減らすことやマイナスになることや利益そのものを追求しない人を、まるで何もできない無能な人と言うような解釈をしてしまいます。そして、そういう自分を社会の中で価値のない自分であると主導権者の無意識に振り回されていることに気づかず、いわゆる鬱のような状態に自ら追いやってしまっているようです。そこで、主導権者の言う通りに動いている人でも結果が出せない人が多いので、これは方法論が間違っているんだ、努力の仕方が足りないんだといったふうに、自分を追い込みながら、本心では、誰かがこの状況を変えてくれることを求めている。つまりはリーダーの交代や新しい価値観の創生や現状を変えてくれる人を求めているのです。そこで、新しくリーダーになろうとする人は、今までの状態を「変革し改革していく」と言う曖昧な言葉で「あなた方の思う通りに私は価値観を変えますよ」と言ったメッセージを流したがるものです。しかし、実はどうなりたいかと言うことを自分自身でもわかっていない人も多く、一人ひとりの理想が違うので、結果的に何かが変わっていても、誰がリーダーになっても何も変わらないと言ってしまう人たちが多いのです。しかし、よくよく具体的に問題を絞って検討してみれば、時代は変化しているし、人間の価値観も変化しているし、なんらかの事柄は変わっているのは事実です。ただ、それがその新しいリーダーによってもたらされたことか、社会全体の風潮や国際社会の中での変化と言うことも大いにありますから、誰かが変えてくれたと言うふうに思うことができないのだと思うのです。また、「前向きではなくてもいい」と言える社会にはないので、世界の中で大きな規模を持つ資本主義と言うベクトルは、とどまることや後退することを許してくれません。ですから、基本的にこのご質問の「どうして改革が必要なのか」と言う基本的な問いの中で、自分のあり方や生き方を社会の無意識のベクトルに乗せていくことを停止してしまえば静寂と言う落ち着いた、しかも少欲知足と言う、いのちにとって理想的でストレスの少ない、本当の意味での生きがいと言うものを感じることができるのではないかと思います。簡単に例えますと、農業は過去めんどくさい仕事だと思われて、また農家は日本の歴史上、小作人と言う差別意識の中で価値の低い仕事をやっている人たちと言う誤った無意識概念が埋め込まれています。しかし、近年若い人たちが小さなグループを作って、半自給自足生活をする中で、自分が植えた作物が生育していく姿に喜びを感じたり、自分が作った作物がとてもおいしいと感じたり、農業と言う仕事も儲かる儲からないではなく、生きる喜びを与えてくれる仕事と言う概念を得て、落ち着いて不要なストレスにさらされる必要もない生活をしていると言う人たちが散見されます。このご質問のように何かを特別に改革しなくても自らが無意識に埋め込まれている資本主義の概念をとり払ったとき、着飾ることもない本当のあるがままの中で、生命の源風景の中で、生きがいや喜びを感じて生きていくことを考える方が、より簡単で効率的であり、真の理想を生きることができると言えるのではないでしょうか。もちろんそういった生き方が農業に限ったことではないと言うことを理解しなければいけません。掃除のお仕事であっても、頑張って考えながらきれいにすることによって、「きれいにしていただいてありがとうございます」と言うお客様の声を喜びにすると言うことであって、そこでいくら儲けたかと言う思想にならないことが、あえて改革を求める必要がない真実であると言うことを、ここでは論じて回答とさせていただきます。

2021-10-05 20:30:00

利権と理研‼️

【小保方さん】

 

今更と思われる方もいるでしょうけれど、いまも小保方さんを応援しておられる方々がいるので、あえて載せておきます。

 

陰謀論ではなく、ほんとうに医療の儲けどころが「ガン」なので、これを治せるというものは、世界レベルで徹底排除されるのです。

これは利権ということでは済まされないことで、研究者や医師もこの世界基準を認識していないことは問題だと思うのです。

 

ガンを治す〇〇療法といったものは、勝手にやっとけという範疇ですが、この細胞は世に出してはいけなかったのです。

これが、発表された時に「世界中の細胞の専門家」が違を唱えることはなかったということは、「専門家」がバカなのか、ハーバードが「権威者」からの「どうするか」の返事に時間を要したかのいずれかでしかありません。

 

いずれにしても、発表するにあたって、小保方さんをタレントのように扱った理研サイドと、「なにいうてんねん」という欧米権威者の双方から遊ばれた、「大人の事情」を知らない小保方さんにとって、矢面に立たされたことは、「人間として許されない人たち」の犠牲者だと言えると思うのです。

2021-10-04 06:27:00

トランプさん‼️

【トランプさんを嫌いな皆様へ】

 

トランプさんは、状況に応じていろんな面を見せる方なので、誤解も多く、電通や東北新社がチカラを持っていたときに日本で流されてきた報道は、反トランプ勢力のヤラセ報道でした。

 

〇〇ゲートなんて言っていたのを覚えておられますか?

あれは、ほとんどが「反トランプ勢力」がやった犯罪でした。

 

トランプさんは「どんな人にでも会われる人」です。

それが、中小企業レベルの人にでも真剣に関わって、なんとかしようとされる方です。

 

なぜ4年間の大統領を「法定最低限の1ドル」で大統領をやり、家族も無給で奉仕されていました。

 

また、トランプさんは、私の実家と同じ「福音派ルーテル教会」の熱心な信仰者であり、早逝したお兄さんの教えを守って「酒やタバコ」はされません。

 

そして選挙でもなんでも「法律を守って」実行されました。

もちろんワイロなんか必要ありませんから、そういう人は一切お断りという姿勢で政治をされたのです。

 

ですから、法律を守らないひとを糾弾したのです。

 

トランプさんの自伝や本を読めばスタンスが良くわかります。綺麗事は書かれていません。

ありのままです。

 

以前、911の現場に駆けつけて手伝ってる写真も見せていただきました。

ブッシュとラディンの茶番の犠牲になったひとについて、悲しみと称賛をされています。

 

多小荒っぽさは見えるでしょうが、それも意図のあってのことです。

みなさん、このような人は、桂枝雀さんのように二度と現れないでしょう。

 

人間らしく生きたい方は、是非トランプさんを応援してください‼️

2021-10-04 03:47:00

信じると‼️

【キリスト教を信じると、人生にどのような意味が与えられますか?】

 

人は日常的に、無意識の中で法律や世間の常識や個人の価値観などの尺度を持って考え行動しています。

 

つまり、それが宗教であろうと法律であろうと道徳であろうと教わった常識であろうと会社のしきたりであろうと何であれ、みんななんらかの尺度や価値観等を持ちながら生きているのです。

ただそれが、ほとんどの場合無意識に行われていると言うことをほとんどの人が自覚をしていないことが、キリスト教などの宗教が特別なことであると、日本人は錯覚をしているのです。

 

例えば日本人は、ご飯を食べる時「いただきます」と言って人によっては手を合わせる人もいるでしょう。こういった行いは、ほぼ無自覚に教えられてきて、無自覚に実行している行いです。

 

ご質問のように、キリスト教を信じると人生にどのような意味が与えられるかといった事は、日本国憲法や法律をを守ることによって、人生にどのような意味が与えられるのか、と言う問いと変わらないことになります。

 

といいつつも日本人は、正月に初詣に行ったり七五三を祝ったりお祭りに参加したり、クリスマスを祝ったり除夜の鐘をつきに行ったりといった宗教的なことを日本人は全く無自覚にかつ、単なるイベントのように思ってやっていたり、ビジネスベースで作られた行事に乗っかってみたりと言うことが、皆さんの人生にどのような意味を与えているのでしょうか。

 

例えば、ひな祭りのひな飾りは、古来の天皇家の結婚式を表したものであると言われています。ですから3月3日を過ぎてひな飾りをそのままにしておくと結婚が適齢期を超えてしまう。といった迷信に振り回されるような人も意外と多いように思います。

 

日本と言う国は、長い間「天皇陛下」と言う神様がいて、その神様に日々礼拝をし、誰かが「天皇陛下」と言うだけで、その周囲にいる人全てが敬礼をすると言うようなしきたりがあったことを、昭和の末期から平成、令和と進むにあたって、若い人がそう言った歴史を知らない状態になっています。

しかし、日本において第二次世界大戦の終わりまで、天皇陛下が「本物の神様」(現人神)であると日本国民はど真剣に思っていたのです。第二次世界大戦が終わり、天皇陛下が「人間宣言」をするまではマジマジ神様だったのです。

 

つまり日本は、ついこないだまで神(宗教)が国をつかさどっていたと言うことになります。また、古くから日本はたくさんの迷信があって、菅原道真を粗末にしたために疫病だのなんだのと言う問題が発生し、その数々の問題を解決するために「天満宮」を作って菅原道真さんの魂を沈めるといったことを普通にやっていたのです。

 

そういう意味では、日本ほど現在も多くの迷信や俗信に振り回されている国は少ないのではないかと思います。

さすがに最近では、結婚式すらしないカップルが増えているので、大安だの仏滅だのと言ったことを気にする人は少なくなっていると思いますが、特定の業種においては水曜日を休みにするといった業種もあります。それは、そのビジネスの話が水に流されないようにと言うことで水曜日が休みになったと言われています。

葬式においては、友引を避ける傾向にありますが、これは亡くなった人が友達を引っ張って一緒に連れて行かれるの嫌悪して友引を避けているといいます。

また、お葬式の後に塩を持って帰って塩を体にふりかけて家に入らなければ不幸を持ち込むといった迷信も今でも残っています。

また、単純に田舎のお墓が怖いと言う人もいますし、夜のお寺の本堂が怖いと言う人もいます。

 

挙げればキリがない位、日本人はどうでもいい迷信や俗信や占い等のおよそ根拠がよくわからないことを信じている人は意外と多いものです。

 

占いにしても「統計学」ですからと言いますが、いつ誰がどこでどのような対象に対してどのような調べ方をしてどういった統計学に基づいてその占いの手法において運勢を知ることができると言えるのか。

こういったことを、日本人は「統計学ですから」と言う一言で納得してしまうと言う、無宗教であるが故に、誰かが言うことや世間の常識を正しいと思い込んでしまっていると言えましょう。

 

そしてその誰かが他の誰かに入れ替わった時、前の誰かが言ったことをあっさり捨てて、新しい誰かの言うことに従っていくと言う全くもって、「それがあなたの人生」と言うことで良いのでしょうか。

と尋ねたくなるようなことがたくさんあります。

 

わかりやすく言えば、例えば市長が変わることで、前の市長の全く逆の方針が出されても市役所で働く人は、新しい市長の言うことを進めていかなければならないと言う国民であって、政治も何もおおよそ理由を自ら考えることなく、人の言うままに流されていくと言うのが、高いレベルの哲学的思想的教理教学を持った宗教を失った現代の日本人の姿であると思います。

 

ここで、質問者様の「キリスト教を信じると」と言う文言について、あえて言うならば、キリスト教を信じると言うことではなく、バイブルにおいて、神の言葉を預かっている預言者の言葉を学びながら、人生をどう生きていくのかと言うことを考えていくと言う方がより的確な表現かと思います。

 

この時、バイブルの言葉をどのように理解し、どのように自分の人生に指針を与えていくのかと言うことを学ぶためには、カトリックで言う神父さんや、プロテスタントで言う牧師さんと言う人たちに学んでいくということが重要になりますし、またキリスト教の〇〇派と言う次元ではなく、神父さんや牧師さんと相性が合う合わないと言うこともあるので、その辺は自らの相性基準を変えていく必要があることもあろうかと思います。

しかし、キリスト教においては、まずは、カトリックかプロテスタントかと言う二者択一をしていかなければいけないと言う事はあろうかと思います。

とは言え、これもご縁と言うことがいえますから、まずは質問者様が1番通いやすい教会へと足を向けて見られることが、まずすべきことではないかと思います。

 

ここで私が「すべき事」と書いたのは、いつまでも門外漢の評論家では、その真の姿が分からないからなのです。

2021-10-03 23:44:00

大バカ者‼️

私は、もう50半ばだけれど、もう孫ができた。

もう、うちの孫が可愛くて可愛くて仕方がない。

そのお孫さんが20年そこそこ経って大人になった時っているどんな時代になっているんだろう。

 

およそ、その頃まで私はこの世にいないだろうから、それはわからないけれど、どうか人間が人間である世界のままであって欲しい。先進大国では、火星に移住するとかなんだとかテクノロジーを駆使して、どこまで自然や神に背いて生きていこうとするんだろう。

 

「あなたのお孫さんは火星に住んでおられるんですね」

「今度いつ火星から帰って来られますか?」

「いつお孫さんに会いに火星に行かれますか」なんて言う会話が普通になった時点で多分人間は終わっているだろう。

もはや、そういう会話をしているのが、アンドロイドになっているだろう。

 

人間なんて所詮バカなものだから、どんなに優れた人がその愚かな人間を良き方向に導こうとしても、なかなかうまくいかないものである。

 

それは、バカ以上の大馬鹿者が世の中の上位に入るからじゃないのだろうか。

 

誰が、その大馬鹿者をまともに導いていけるのだろうか。

 

生活というのは、「生きる活動」だから、掃除をするのも、家事をするのも、仕事をするのも、全てが1つ残らず「生命活動」である「生活」と言うことであり、それをアンドロイドやAIや機械に任してしまって、人間がそれらを放棄した時、何が残るんだろうか。。

 

0歳から1歳2歳と言う重要な期間を、保育園や他の人に任せていて、その子が将来的に面倒な人になっても、それは保育園が悪い学校が悪い社会が悪い、といった愚痴にしかならないだろう。

 

子育てだって、生活の重要な部分であり、それを人任せにしていながら、社会を恨んでみても仕方がない。

 

昭和のように、日々洗濯をするのも、掃除をするのも、ご飯を作るのも、みんな一つ一つが重要であると言うことを平成から令和に至るまでの間にどんどん忘れられていったのではないか。

 

そしてテクノロジーだとかコンピューターだとか、綺麗で、かっこいいことが、その人のプライドを表すなんて思っているとしたら、それは本来の意味のプライドではない。

 

馬鹿なええカッコでしかないことを心に問うべきであると思う。