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2020-09-01 04:15:00
費用対効果。。
最近お寺の法要や行事において、役員さんなどから、、
「費用対効果がない」といったことをいわれることが多くなってきている。
しかし、わたしは宗教を「ビジネス」だとは思っていないので、
職業を尋ねられると、、
「無職です」というようにしている。
そして一応「お寺の寄付や献金」で生活しています。
といっている。
また「布教使不要論」も同時に出始めていて、、
「布教使のお礼」について「費用対効果」を問われるようになっている。
聞いていて「納得のいくお話ではない」という意味である。
確かに布教使のお礼については「いまの芸人さん」よりも高く、
見直す必要はあるだろう。
それよりなにより「僧侶の姿勢」が「クソ坊主」といった状況であり、
「浄財」の無駄遣いが見える。
地域によっては「お寺さん、住職さんを殿さま扱いせよ」と明言する寺院もあり、
もはや「時代錯誤も甚だしい」ところもある。
また、お礼を高く設定している寺院は、もはや「布教使ではなく、著名人を招く」お寺もある。
本来の「いのちや精神のあり方を求めて生きている」という「行者」という「感はなく」
門徒さんからしたら「いざという迷いが出たら、このひとに相談したい」「このひとに見習いたい」という僧侶は激減している。
わたしも同じように思われているだろうけれど、日々のこういう投稿で本音を知って欲しいと思って、
思いつくことを書いてる。。
そもそも、わたしでなくとも「地域の門徒さんが一番理解してくれない」という事例は多く、
なぜかお寺に賛同していた人が「役員になる」と手のひらを返すように「否定的になる」ケースは意外に多い。
これは門徒さんがどうこうではなく「社会現象」だと思っている。
役員さんにも「責任意識」があるうえ、傍観者ではいられなくなるからであろう。
とにかく「なに教」においても、宗教はビジネスではない。
キリスト教でも、寺院よりも少ない寄付や献金でやりくりしておられるのだから。。
立派にお金儲けをしている「宗教」もあるけれど、それは意図的にマインドコントロールのために作られて、
資本注入されており、活動資金は余裕のなかで「政治や経済を動かすため」にある宗教である。
そういう意図的な宗教は置いといて、ホンモノに属している「世俗ないしは世間を超えた役割」を担う宗教においては
基本的に僧侶の姿勢が問われる。
しかし「資本主義的な役員さんや門徒さんとの間」で「苦悩するまじめな住職さんが多くなってきた」のは、
マッカーサーの計画通り、日本の資本主義化に成功し、日本人の精神破滅計画に日本が乗っ取られたといえる。
GHQが作った「50年後の日本人をお金の奴隷にして、精神崩壊させるための計画」があったと言われているが、
僧侶を含めて、まことにその通りになったと言える。
欧米からすると「特攻」という、弱いものが「身を捨てても突っ込んでくる怖さ」があったのである。
このコロナ騒ぎに乗っていて、未だに「コロナ」という「戦争の仕掛けに目覚めていない」のは、
日本だけではないかと思うけれど、報道や情報が操作されていることも知らず、
自由に「ネット」で情報収集していると錯覚し、じつは、厳しい「規制と監視」があることを知らない。
また「ワイドショー」のような「御用聞き学者や評論家」のいうことを信じるというほどおめでたい。
日本は民主主義国家だと錯覚して「自由と平等」という二律背反して成り立たないことを信じている。
そういったことを「せめて僧侶はわかりつつ、利他を行じること」ができていないし、
お西の教学では「そういう僧侶が育たない」から、門徒さんからクレームのように、
「費用対効果がない」という、ことばが出てくるのである。
いまほんとうに「僧侶が教義を見直して、世俗を知りつつ菩薩道を歩まなければならない」と、坊主という世間知らずがなにを言おうとも、もはや数年で寺院はなくなるであろう。
守るべきは「精神世界」である。。