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2020-09-16 21:06:00
経営コンサルタントを受けた方にお聞きします。経営コンサルタントによるアドバイスは有益で役に立ち、業績の向上や何らかの成果がでましたでしょうか?それとも机上の空論でしたか?
【世俗を学ぶ】
中小企業のビジネスは「有能なひと、マーケティング戦略を立てなくても売れる有形無形の商材やサービス、銀行や投資利益などからの資金繰り、正確な情報」は重要ですが、
これらのひとつでも「ダメになったら」どんなコンサルが入っても、いっとき変化は起こっても、良い方向には向きません。
「税理士や社労士」といった「士業」のひと「銀行担当者」の能力や行動力によっても、経営に支障が出ます。
そもそも経営者が決算書を「銀行目線」「税務署目線」で読める作れることがなければ、実態として「金融が止まり、税金を借金して払う」といったバカなことになります。
日本の経理は「借金返済は利益から」というワナのなかで、自転車になっているところがほとんどです。
次々と店舗を展開しているところなどは、「店舗拡大経費」として借金をし、そのうち何%かを「運転資金に回す」といったことをやっているケースが多いので、
そういう中小企業は、うまくいっているのではなく、資金繰りに困っているといえるところが多いものです。
またどんなすぐれたシステムがあっても、社員がこなせなければ意味がありません。
またコンサルとの契約の仕方(固定費にするか、流動にするか)だけでも、コンサル費用で資金繰りが悪化することが普通にあります。
そしてコンサルは「銀行との話に入れません」というか「入ってもらってはいけません」ほんとうの弱みを握られてしまうことになる可能性が大きいのです。
ましてやコンサルはすぐれたマーケティングをしようとも、そもそもマーケティングが必要なものは、本来的なニーズではなく、ウオンツですから、
流行や変化が激しく、常に「追い続ける」ことになり、資金繰りには「追われ続ける」ことになります。
散髪屋さんや美容院さんは「ニーズ」ですが、エステやマッサージなんかは、「ウオンツ」であり、どう工夫してもニーズにはならないので、
大手のエステなども、この10年ぐらいで「業種、業態」を変えているところがほとんどです。
ましてや「焼き鳥屋」ですぐれた手腕を発揮して、売り上げを跳ね上げるような店長が、独立して「レストランだのバルだのといった経営」を始めても、
コケてしまいます。
同じ「飲食業」でも「業態」が違えば、売るものが変わるからです。
「焼き鳥屋」は「水(酒)」を売る、「レストラン」は、食品原価率などを考えてメニュー構成を工夫したり「調理人」が必要です。
このように、同じ「業種」でも「業態」が変わるとコケるケースは多いものです。
「美容院」が「ヘッドスパ、ネイル、脱毛」などのサービスを始めても、それらはウオンツなので、結局メインの髪切りだけで顧客は帰ります。
また顧客は、ネイルはネイル、脱毛は脱毛で他に行き先をもっているものです。
その店舗だけで「すべてを賄おう」とする顧客は少ないのです。
そういう意味で「ネイルの経費」「脱毛機器のイニシャルコスト」「人件費」などを考えれば、儲からない部分にお金を捨ててしまうことにもなります。
また現代は「風俗のニーズ」は少なくなり、行くとしても「ガールズバー」ほどの時代なので、高級風俗は不要になっています。
ですから、まずは企業は、売っているものは「ニーズ」なのか、というところから考え直さなければ、追い続け、追われ続けるのです。
もし企業がニーズでなければ、コンサルは「追い追われる状況」を次々と繰り出して、企業を安定させないようにします。
そうでなければ、契約終了になるからです。
わたしは「マーケティングの神様」のような方と知人ですが、わたしはそのひとを経営に入れません。
次々とあれがいい、これがいいとジャマをしてくるうえに、ハッタリが多く、「コンサル会社の若い社員」を外国にいかせて、
その若い社員に「わたしはこのマーケティングで成功して、海外で悠々と生きています」といった演出をさせます。
また「コピーライティングやセールストーク」を高額で作って、テキトーに「やらせの客付け」をして、
しばらくしたら、また内容を変えなければならないという状態にもっていき、そこでまた高額請求ということを延々と続けることになります。
また、そういうコンサル会社にぶら下がっている企業の「需要のない商品」をこれは「内緒の商材ですが御社がこの商材の販売権を持てば高額で売れます」
なんていう話を持ちかけて、コンサル会社が「ライティングまでして」結果売れないけれど、そこまでで充分儲けているので、
撤収するというパターンもあります。
とにかく、コンサルが入ってややこしくなることのほうが多いと言えます。
ましてや「年配の時代を知らない〈顧問〉」なんて不要です。
わたしは、年商5億程度のサービス業や台湾との貿易をしていましたが、わたしの会社にはコンサルは入れませんでしたが、
コンサルを入れて、上記のようなことで悩んでいる企業のマネジメントもやっていたので、こういったことをみなさんもご注意いただくように記述させていただきました。
2020-09-16 04:10:00
敢えて個人名を記しませんが人の為に命を注いだ歴史的偉人たちは常に市民と同じ高さから世界を見たから信念を貫けたと思いますか?彼らも上に登っていたら、金欲と権力に染まったでしょうか?
日本のように「幸せで恵まれすぎた国」を生きていると、どうしても「意識レベル」を高く保つことが難しいようです。
つまりなんの「思想や哲学」もなく、生きることは「生活保護」もあり、ほぼ保証されているうえ、次々と欲求は満たされていくというなかで、
「自分はそうではないように思ったり」「生きる意味が見出せず、自己の尊厳が得られない」と嘆くという矛盾を生み出しているのですから、
不思議な国民です。
「隣の芝生は青いと思っている国民」といえるでしょう。
そこでわたしは「歴史的偉人」が有名なひとに限定はされないとは思うけれど、知られていないひとであっても「ほんとうの偉人」は、
市民目線ではない「高い意識レベル」から、「多数派の市民目線」を尊厳目線から観るようにしながら、さらに意識レベルを引き上げて、
より「より多くの人が、すべての目線に尊厳を持てるよう」にするために、生きたひとだといえるので、
そういったひとは「お金や権力には染まらない」ものです。
よく「お坊さん」はチョイとお経をあげるだけで「高いお布施」をもらうねんから、よ〜儲かりますやろ。。
なんていうことをいうひとがいますが、そういう次元にいる限り、そのひとは「市民目線」よりも低いところにいると思います。
そういったかたが見えている目線について、尊厳目線から、そのひとが「そうではない」という目線になられたら、
もっと広大な気持ちで生きられるのに。。
と尊厳目線から、そんなもんではないという次元世界になられたら、日本人の矛盾した世界観を脱出できるのにと思うのです。
こういう風にいうと「上から目線」とすぐにいうひとが多いのも、巷で言われる「ひがみ民族」ということなのかもしれません。
「的確に、価値観や世界観は単一ではないこと」を認識すべきだと思います。
2020-09-16 03:28:00
都市伝説系のYouTubeで悪魔崇拝について取り上げられていたのですが、悪魔崇拝者を死刑にしろと言っている方がいらっしゃいました。この考えこそ悪魔なのではないのでしょうか?
まず、都市伝説という文言には、半ば虚構といったニュアンスがあるように思いますが、フリーメーソンと口裂け女と同等で論じることはあり得ません。
世界的にフリーメーソンは、普通に実在だからです。
また陰謀論という文言には、バカなことを信じているひとというニュアンスもあるように思いますが、
市町村レベルでも陰謀はあるので、陰謀がないという方が不思議です。
複数人のいじめも「陰謀」です。
さてこの問いで言われる悪魔崇拝にも、さまざまな形態や思想があるので、一括りにはできません。
特定の人間を殺傷することを意図した悪魔崇拝者は、悪魔であると言えるのでしょうが、
そういったひとを殺せというひとたちも、ご質問のように悪魔であると言えるでしょう。
さらに、無自覚に悪魔的生き方をしているひともいます。
ひとを自殺に追い込むかもしないというような思想やビジネスを生きているひとなどもそうであるといえるでしょう。
自分は悪魔的ではないのかと自己点検するように生きるために宗教や哲学などの智慧に学ぶことが、
自己点検の近道ではないかと思います。
2020-09-14 21:07:00
天国と地獄の観念はキリスト教でも仏教でも同じ様な表現だと感じるのですが、これは元々何か一つの考えから発生したものなのですか?
世紀0年前後でも、人類の文化交流はあったといいますが、
純粋なお釈迦さんの時代の仏教には、「地獄や浄土(天国)」という死後の対立概念は採用されていないといえます。
あくまでもそういう死後の話などの「明確に不確定」なことは、お釈迦さんは「無記(論じない)」という姿勢を持って「戯論」とされました。
また厳密には「天国」と「浄土」ではその内容(意味するところ)は異なっています。
天国は「神による楽園」、浄土は「人間が成仏することによる悟りという楽」というように、前者は「自己以外に神が絶対者として存在している場」
後者は「自己が成仏することによる状態」といえます。
このように、天国と地獄といった似たような教えは、古くからさまざまな宗教などにあるようですが、
厳密には「宗教ごと」に異なっているので、単純に同じようなことと考えない方が良いと思います。
2020-09-14 21:05:00
観音菩薩は仏教が伝播するにつれ東アジアでは女性化されたのに、何故阿弥陀如来は非常に母性的であるにも関わらず女性化されなかったのですか?
阿弥陀如来が母性的というお話から考えて、仏教にはお詳しいと思いますが、
改めて記述しますと「菩薩」には、「求道者」「仏が変化した」「仏の性質をあらわしている」などの種類があります。
そこで「阿弥陀如来」の慈悲の性質をあらわしているのが「観音菩薩」とされ、「勢至菩薩」は智慧をあらわしているという意味で、
阿弥陀如来の両脇に観音菩薩と勢至菩薩が並んでいる「三尊像」もあります。
しかし「阿弥陀如来」に限らず、「仏=如来」は「分別を超えた性質」というのが、基本ですから「男性でも女性」でもなく、
「絶対でもなく、相対でもない」「存在でもなく、非存在でもない」といった性質を「無我、空」といいますが、
そういう性質上、なんらかのポイントに定義されないのです。