インフォメーション(日々更新中)
2020-09-23 03:46:00
障がい者さん目線を知りましょう。
障害者本人です。どんな障害かはおいといて、色々と一般の人にお願いがあります。
他の方にも書いている方がいましたが、「横柄で馬鹿にした態度で接しない」。
そんな態度を取る人がいるのか!?と本当に思うでしょうが、いるんです。
ごくわずかな滅多にいない人達、ではないんです。
何でこんなことが起きてしまうか話させて下さい。
見た目なり言動なりで「障害者」であることがまず分かったとします。
すると、その障害がどういったものか、何なのかまったく知識も医学的にも持っていないのに勝手に「こういった障害」と思うんでしょうね。もちろん、間違って勝手に思い込むのです。
例えば実例を出すと、言語障害のある人。=知的障害者だと必ず思われます。
「ああ、、ううう、、えええ、、と、、、」と聞き取れないほどゆっくり、それも文章になっていなかったら、そう思ってしまう人がどうしても多いのです。
これは日本に障害者との共存がないので、知識のないせいなのです。
こういう時は焦らないで
「聞き取れずおっしゃっていることが分からないのですが、筆談は出来ますか?」と言っていいのです。
意思疎通があなたと上手く交わせない人=知的障害だと思わないこと。
とても大事です。
知能はすごく高く、どこかの大学教授かもしれません。私もそのひとりです。
また「幼児を扱う様な対応」になったり「赤ちゃん、幼児、または子供に話す様な話し方」になったりもされます。
また、知的障害があると勝手に判断されているので、例えばブティックで服をたくさん買おうとすると、「この人本当にこんなに買えるのかしら、、、」と思い始めてそれなりの言動が出て来たり、「今日は2つにして、気に入ったらまた来て買ったらどうでしょうか?」なんて言われたり。
あからさまに「ひどい」扱いをするわけではないのです。
でもよくよく考えてみたら、何故知的障害だったら、欲しいだけ買ったらいけないのでしょうか?相手は気を利かせているつもりなのです。
きっと金銭の使い方もよく分かっていないだろうから、バカみたいに買おうとしているから止めないと、と。
これはほんの一例です。
なのでまず、見た目にあなたが判断をする「障害」と、実際の障害は違うと思って下さい。たぶん、ほとんどが大外れであると思います。なので、素人には判断が出来ず分からないと思って、ニュートラルなところから接して下さい。
「こちらの言っていることは分かりますか?」と聞いても失礼ではありません。あなたは一生懸命意思疎通を図ろうと思ってくれているのなら、うなづきます。
ここでうなづかれたら、対応に何も困ることはありません。
次は身体障害です。基本、どんなに不自由に見えても、痛そうに歩いていても、何の助けも要りません。勝手に手とは出さないで下さい。ビックリして転んじゃいます。
ここはこう考えて下さい。
大きな荷物を持ったおばあさんがいます。階段を上ろうとしています。「お荷物持ちましょうか?」と声を掛けますよね。同じことなんです。
私達はただでさえ身体がポンコツなので、大きな荷物なんか持っていたら、そりゃぁ~大変ですよ。エスカレーターでも大変です。荷物を支えるために、自身を支えられなくなったり。
そんな時は「お荷物支えましょうか?」なんて言って頂けると嬉しいです。その障害者の方が怖そうな方なら「もしよろしければ、」なんて最初に付けたらいいかもしれません。
私達は正直、外に出る時にとてもナーバスになっている人が多いです。
とても複雑な気持ちで怯えながら歩いているんです。
誰かに指を刺されていないか、笑われていないか、またいじめられないか、今日は具合が悪くならないで1日過ごせるか、誰にも迷惑を掛けないか、もうその気持ちはここに書ききれません。
障害者の人の中には、助けられることに腹を立てる人もいるかもしれません。もししういう人にあったら運が悪かっただけで、滅多にいる人ではありません。
私達の多くはやはり「助け」を必要としており、一言何か言葉を掛けて頂けたら非常に助かる場合が多いです。
自分からは言えません。通りすがりの人をつかまえて「私にはこういう障害があって、今、こういう風に困っているなので、、」なんてそうそう言えないし、そんな場面見たことないですよね。
怖くて言えないんですよ。多くの人が。頑張れば何とかなるんだから、ひとりで頑張っちゃおう。滅多に外に出るわけじゃないんだから。って頑張っちゃうんです。
でも、もし世の中の人がみんな助けてくれたら、滅多に出来ない外出も、いつでも出来るようになります。そんな日本になったらどんなにいいでしょうか。
「これだけはするな」は、勝手に相手の障害の種類を決めつけない。どうせ外れていますから。
階段とか坂とか、大きな荷物を持っているとか、目につく時はすぐに声を掛けて下さい。「声を掛けないなんてことだけはしないで下さい」
この2つです。
追記です。見た目では障害があるかないかは分からないことも多いと思います。町で見かけた「もしかしたら困っているかもしれない」人には、障害のあるなしに関わらず声を掛けて頂けたら嬉しいな、と思います。
2020-09-23 03:03:00
いまを摂取して過去を捨てる‼️
「過去は済んだこと」を「よかったこと」に転じる「悪を転じて徳となす」という親鸞さんや鎌倉仏教以降の「転じる」という手法は、ひょっとしたら「ごまかし」になるのかも知れませんね。
「過去を切る」ということがもたらす「新しいこと」の方がいいのかも知れません。
そして「ムリに生きようとせず、死という楽が来ること」をゆったりと待って生きる。
これは、「大乗仏教から初期仏教への回帰」とえいえるように思います。
そういう意味で、「ガンを生きて、日々昨日という苦悩の過去を切りつつ、治すのでも治さないのでもなく、死という楽を待つ」ということなのかも知れません。
2020-09-21 03:45:00
先は明るい☀️
「あなたのチカラも影響力も小さくていい」
わたしなんか「アンチ」が多いけれど、それは理解されていないということでしかないと思っているので、アンチのひとも大事に思って、、
「パクっていただいてもいい」という前提でいろんな投稿をしている。
とくに個人的な目的みたいなものはない。
「一隅すら照らせない」と思うこともあるけれど、
この「いのち」を最大限に可能な範囲で「良きこと」と思うことに向かっていのちを運び、、
自分にウソをつかないように、ストレートに「いのち」を運んでいる。
わたしは、最近になって、世界は良き方向に進む予感がしている。
ウラ(アングラ)の世界でも、「穏健派」が増えている。
中高生でも「ちゃんと真実に対峙して生きようとしている」多くのいのちがある。
20代でも「けっこう地味にかしこく」生きて、「厳しい世代を生きている自覚」のもと「贅沢など考えず」家庭や仕事を大事にしているひとが多いように思う。
昔のように、異性に溺れるひとも減ったので、風俗産業は低迷している。
それよりも「LGBTQ」などのひとの苦労も真剣である。
そういう意味で「異性には興味がない」ひとも増えて、、
仕事でもプライベートでも「男女の友情やパートナーシップ」も平気で成り立つ。
もはや「不倫だの浮気だのという尺度」では計れない時代なのである。
そんな面倒なこと以上に「やるべきことや、やりたいこと」があるという若者も多い。。
一軒に「男女関わらずシェアしている」なんて意外にある。
問題なのは「70代以上のひと」だと最近は思っている。
もちろんその世代すべてではないけれど、
こういった、むちゃくちゃに見える、時代の進歩を理解できず、
若い人を「むかしの枠にはめようとする」から、
若い人と軋轢を起こす。
そういう世代が70代以上のひとだといえる。
このままいったら「日本がアメリカになる」ということに、
なぜ慌てるのか、日本に固執する意味が今後あるのか。。
「アメリカでもいいやんか」という冷静な態度をもつ若い子は多い。
「愛国心」になんの意味があるのかというのは、70代以上のひとや日本人を見ていて、「イジメだのなんだのとあって、社会でも型にはめようとする」いまは中高生より「大人の陰湿なイジメ」の方が多いぐらいである。
「ひとを大事にする先人がいない日本」の「なにを愛せ」というのか。。
そう思っているひとは多い。。
「あなたはあなたを表現したらいい」
生き方に「GODやBuddha」の「個性」を恵まれたいのちなのだから。
貧しくとも「精神が貧しくなければ、いのちを時代に乗せて運べるだろう」から。。
枠にとらわれる必要もない。
「自閉症」の子を授かって、「この子に色々と教えてもらっています」
この子は「宇宙からのプレゼントです」といって、、
障がいと言われる「いのち」に学んでいる若い親も増えている。
障がいは「大変だ、ダメないのちだ」なんて、もはや古典である。
明確に見えなくても、徐々に「いのちは時代にあわせて進化している」のである。
そういう傾向になってきていることを、最近はとくに感じている!
2020-09-20 23:25:00
アメリカズゴッドタレント
「アメリカズゴッドタレント」というオーディション番組がある。
出演者は「世界各国」から来る。
審査員や会場のお客さんの反応は「ストレート」である。
2019年(今年放送)には、日本の「ゆりやんレトリィバァ」さんも出ていた。
出場者は「歌からダンスやイリュージョンなど」さまざまなタレント性を見せて審査されるが、
ある審査員が「その人その人の素直な人間性を自然に見せて欲しい」といったことを言っていた。。
出演者は、「恵まれない境遇から歌に救われた」「イジメを受けて歌しかなかった」「ダンスでアフリカに生まれたことの誇りを表現する」「自閉症のひとがピアノを弾きながら歌う」などといった、人生の背景を紹介されたりする。
つまり「そのひとの存在」と「その人の人生」を「個性として表現すること」が重要視される。
日本ではこういうことは「同情票を得ようとしている」といわれるだろう。
しかし「そのあなたの苦悩の人生そのものがあなたなのだから」という観点から「その表現」を問われるというスタンスなのである。
観客も「そこにこそ感動し」素直に「出演者に共感して」スタンディングする。。
決して「優秀だからいい」ということではない。
「人間の存在意味とは、そういう観点から互いに見ることができるかどうかであること」だと知らされた。
もちろん、日常はオーディションではないから表現ができるできないではない。
ただ「あなたにしかないあなたの人生を堂々と生きていくことが表現」として「そのままに誇りを持って生きてほしい」という「GOD個性」(神個性)なのである!
2020-09-20 03:46:00
731部隊‼️
日本人って、陰湿な歴史をもっているように、現代でもイジメなどが陰湿であることは、劣等意識をもったひとが多いからなのだろうか。
第二次世界大戦の終わりごろから、
日本軍の731部隊が、満州で、ペスト菌を感染させたノミを詰めた爆弾を落とす、という開発を始め、、
人体実験に一般の中国人を犠牲にして。。
生きたまま中国人を解剖するといったことまでやり、
中国のムラにも、実験として落とすなど、、
いまでも中国のムラに落とした「薬物兵器」によって、下腿の壊死に苦しんでいるムラがある。
こういった兵器を「イ400潜水艦」に搭載して、アメリカ本土に落とす前に終戦になったけれど。。
ここで、潜水艦でアメリカ本土に生物兵器を落とせなかったら、「生物兵器に感染させた日本人」を送り込むという最期の手段まであったという。
地上型「特攻隊」である。
日本は、最期のひとりになるまで、戦争をやめようとしなかったという。
ヒトラーよりもムゴイ内容である、さきにドイツは戦争をやめた。。
このことは1995年までは隠されていたけれど、多くの証拠書類、写真、映像が発見されて、当時日本はこれを認めたという。
わたしは、ナショジオで見たけれど、あまりにもムゴイので、ネットには「写真」までは載っていない。
ナショジオには「映像まで」公開されている。
「日本ってエグいなぁ」と思う反面、うなづけるから「怖い」。。
今回のコロナどころではない。
隠れてなにか「こそこそとする」ような日本人のイジメ体質というのは、
江戸幕府の鎖国による「文化や文明」のおくれ、「封建制国家の不満分子の体質」がいまにまでも影響しているのだろうか。。
諸外国のように、第二次世界大戦において「宗教が国内への抑止」にすらならなかったどころか「煽っていた」ほど無力だったのだから、
いまも日本製宗教は「コロナを煽る」ようなことしかできない。
いずれにしろ、平和な時は「阿弥陀さまがなんていっていても」いざとなって「無力な宗教」である以上、坊さんの自己満足になっていないかどうか「自浄能力」をもつ必要はあるだろう。
731部隊の映画
ーーー(以下は731部隊情報)
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20170915/index.html
https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/vuniv99/exp-lec4.html