インフォメーション(日々更新中)

2021-06-13 04:40:00

経済ワクチン‼️

最近給与の支払いもできず、国の支援でもどうにもならないという中小企業の工業系経営者さんから、相談が数社あって主に米原、長浜の企業に伺うけれど、ほんとうにどうしようもない。。

先日も、会社を閉じざるを得ない状況で「社員50名」程の生活を壊すことになるという相談があった、もちろんそんなところからわたしの報酬はいただけないしつもりもない。

高速飛ばしてマイナス5千円なのだが自分はどうでもいい。

この社長は50代である。

しかし今にも死にそうであった。。

会社を整理しても借金が残る。

家族より社員を思っている社長は意外に多い。。

制度融資なんか追いつかない。

わたしは、社員さんに「この会社がなくなったらどうすれば良いか」

来週から面談していくことにした。

なんらかの制度で助かるひと、生活保護にお世話になる必要のある人など、

いろいろであろうと予測している。

この方々への「経済ワクチン」を打ってあげなければならない。

そんな中でわたしも、疲弊しているのか眠れない日が続いている。

そういうことなどで投稿が滞りがちになっているのです‼️

2021-06-10 23:00:00

あなたはどっち?

遊牧民は権利を自ら獲得する。

定住民は権利は天地の恵みのように与えられると思っている。

 

定住民である日本家屋は「フスマと障子」で仕切っているのは、

いざみんなが集合するときに「ムリにでも、イヤでもみんなが一つになる空間」を作るためであり、

 

権利は与えられると思っている定住民には必要な「連帯感をムリクリでも作るため」である。

 

遊牧民は「そもそも権利を自ら獲得するためにパーティなどで連帯をつくることは重要であること」を知っているから、家族を大切にして、ディナーなどの時間には子どもから大人まで「集まるのが当然」というのが大前提であることを知っている。

 

定住民は「部屋に閉じこもっていて」も「親などが食事を運ぶ」から出て来なくなる。

遊牧民は「部屋に閉じこもっていたら食事を食べられないこと」を知っている。

 

定住民は「ひとからどう思われるか」と思っている。

遊牧民は「ひとにどうみせるか」を工夫する。

 

定住民は「弁論主張するが討議ディベートできない」から声のデカい人の意見に従ってしまう。

遊牧民は「弁論も討議もする」から新しい価値を生む。

 

定住民は「言われたことをしながら仲良しクラブを作る」

遊牧民は「オリジナリティを大事にしてチームを作る」

 

このように定住民である日本人は、上のいうことを聞くだけで、オリジナリティから新しいことを生む能力がない」

 

日本の核家族化や個人主義は「わがまま」と「グチ」しか生んでこなかった。

 

今後の日本人はここを新ためる(改めではない)ことが重要なポイントだといえる。

 

 

 

2021-06-09 22:11:00

生きる理由‼️

なんのために生きる。。

 

これに正解はないことはわかるだろう。

しかし、「あなたは、何のために生きるか」と言われれば、

「食べるため」とも言えないだろうし、

それは「人ごとに違う」ということはわかるだろう。

 

「子育てのため」「社会に奉仕するため」

「より良い頭脳を作り社会に貢献するため」

 

なんて色々あっていい、

けれど、「何もない」となると「空虚に生命を生きている」と感じるかもしれない。

 

「お金を儲けるため」という人は「目的と手段」を間違えている。

「お金をどう使うか」が目的であり、

「儲けること」は手段でなければ、世に流して皆が生きるためのお金を吸い取るドラキュラのようなものである。

 

経済という言葉が「経世済民」(世を経て民をすくう)ということからしても、ドラキュラは誰も救わない。

 

また人間は生まれて「泣き」親が来て「笑う」というところから見ても、

人間が単独で生きられないことを意味している。

 

一族だけが生きてもDNAが劣化することも多民族または「他人」を必要とする「種」であるということである。

 

さてあなたは何のためにこのいのちを託すのか。。

それがあなたの生命がここにある理由である。。

2021-06-07 19:10:00

無為法‼️

そもそも「仏願の生起本末を聞く」というのは、「日々《仏願とともに歩む》ことで」「択滅無為法」を「観察できるようになる」という重要ポイントがあるということです。

 

これは、《自然》に対して「屈服礼拝」し、「言説讃嘆」し、「さとりへの願いである四十八願を自己の願に置き換え作願」して「択滅無為法を観察」し、「さとりに向かうように回向された願を行じる回向発願」するというなかで、

 

「横超の願」は「人間に《択滅無為法》を示す願い」として重要なのです。

 

ですから【78】に、「六趣(六道)、四生」の因果が滅する。また、「頓(とん)」に「三有の生死を断絶する。。。」と「択滅無為法」を受け入れれば、「有為法の迷界」を脱出することができると記述されています。

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