インフォメーション(日々更新中)
2021-10-07 05:36:00
賜り物‼️
小動物を飼っているひとのお家で、小動物に触れた時、その「純粋な眼差し」にインスピレーションを感じて「大きく癒された気持ち」になって、この小動物さんは、如来なり神から与えられた賜物だと実感したのです。
2021-10-07 05:01:00
弱肉強食‼️
戦国武将が戦ったり、農地や領地を奪って行ったり、こういう事は現代において殺戮者、侵略者とは言われる事はないでしょう。
ある人は歴史の中の必然性であると言いました。
とは言え、ヒトラーを始めとして第二次世界大戦あたりの方は、殺戮者や侵略者と言われます。
平成生まれの方にお聞きすると、「第二次世界大戦は平安時代ぐらいの感覚と変わらないです。」と言う人も多くなっていて、じゃぁ実感はないですかと聞くと、ほぼ全く実感がないと言うことをおっしゃる方が増えていっているのではないでしょうか。
私はアホなことを考える人なので、
「戦国時代あたりは歴史の必然であって、第二次世界大戦は歴史ではあるけれど、殺戮者侵略者といった範疇に入る」
ということなのでしょうか?
それでは、そういった出来事があったあと、何年たったら、あるいはいつ頃から、殺戮者や侵略者から歴史的必然の流れの中の人であると言われるようになるのでしょうか?
人間がどのような時代にどのようなことをしても、観点を変えてしまうと定義が変わっていくので、その歴史に学ぶと言うことがなくなっていくのではないでしょうか。
お釈迦様の出家の理由としていくつかの説がありますが、その中に「鳥が虫を食べているところを見て、弱肉強食と言う事実を受け入れられなくなった」と言う説もあります。
また、親鸞さんと言う人は、9歳から比叡山に修行に入り、比叡山の中でいろいろな酷い事が行われていて、そういうことから目を背けられなくなったから、比叡山での修行を止めて山を下りた、と言う説もあります。
お釈迦さんや親鸞さんとか、ずいぶん昔の方々ですが、人間として理性や知性の観点から感性と言う部分がそういった現実に疑問を持つと言えるんじゃないかなと思うのです。
つまり、歴史の古い新しいとか、エリアが違うといったことではなく、人間が持っている知性理性と言う観点から感性を磨き上げていくと言うことが大切な考え方や視点であると教えられているように思っています。
現代社会において、どんどん人間の知性や理性や感性と言う事は無視されて、愚かな方向へと進んでいっていると言う意味において、私は、人間がどんどん劣化し退化していると考えざるをえません。
お釈迦さんやその他、キリスト教のイエスさんも、こういう観点から人間が「立場を持たない中道」や「人間は神を超えてはならない」と言うことを教えられておられると思います。
人間が各独立した単独の判断で殺戮しようとも侵略しようとも勝てば官軍だ、と言ったことを人間の大いなる劣化、退化であると教えてくださっているように思います。
2021-10-06 02:50:00
ヒトラー‼️
【ヒトラーは何故あれほどまでにユダヤ金融とユダヤを憎んだのでしょうか?また、その背景は現代にも通ずるものがあるのでしょうか?】
これは1つの見解であると思ってお読みください。
ヒトラーのおじいさんにあたる位の方は、ロスチャイルドから出て南アメリカ大陸に移住した人だと言われていて、ロスチャイルド本家に対してヒトラーは大きな反感を持っていたと言われます。
そういう意味でヒトラーがユダヤを憎んだと言う側面はありますが、ガス室等の発想はヒトラー自身のものではなく、側近にいたヒムラーなどの発想によると言われています。
最近、CSなどでヒトラーについて放送していますが、かなりの映像や写真や資料が残っていて、ヒトラーと言う個人を見る以上可愛いかわいそうな人というイメージで構成されています。
わたし的には、ヒトラーはユダヤ金融を仕切っていたロスチャイルドの不遇な末裔と言えるでしょう。そこでヒトラーは、イギリスを最終的に潰す事を目的にしていたので、ユダヤ人を虐殺すると言うことが目的ではなかったといえると思っています。そういう点で、第二次大戦のヨーロッパは世界レベルのお家騒動といった感が否めないと思っています。
つい先般まで、イギリスロスチャイルド家の力が強かったので、ヒトラーは極悪人にされてしまったのではないかと思います。
あの時代で言えば、スターリンなんかの方がよほど醜い殺戮者だと思います。
2021-10-06 02:25:00
無自覚‼️
苦しみの根は「無自覚」のひとことでしょう‼️
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【何があなたを苦しめているのか】
資本主義や社会の常識があなたを苦しめている。
と言うことではなく、そういう常識の中に自分を置いていることに「無自覚である」と言うこと以外ではありえないのです。
これを仏教で無知と言い、キリスト教で背神といいます。