インフォメーション(日々更新中)
2022-02-21 01:43:00
聖書の奇跡‼️
聖書を読んでいる。
キリストの奇跡が多数綴られている。
普通にはあり得ないと思うと、「解釈」をしようとする。
「死んだ少女が生き返った」なんて書いていると、「それは実は死んでいなかったんじゃないか」といった具合である。
しかし私は、とにかく全てを記述のまま受け入れて読んでいる。
するとどうだろう、そういう奇跡はあると思えてくる。
そうしていると、目の前に起こることや、そもそも自分の存在自体が奇跡にしか思えない。
宇宙だってそうだろう。
なんで宇宙なんてもんがあるのか。
とにかく全ては奇跡であり、日常的に考えられないことのみを奇跡と言っていたけれど、その範囲が広がっていくと同時に次元を高めていく。
そして、そのベクトルがさらに細かくなっていくと、死者を生き返らせることさえ、可能なことだと思えてくる。
あり得ないと思っていたことが、あり得ることだと思えるようになって、日常的に思考していることがどんどん意味を変えていくのである。
聖書をありのままに読むことで、人生への思考がこうも変化するとは不思議である。
2022-02-21 01:43:00
事実⁉️
「えっと」「そのニュースに出てる〇〇首相はCGです」
「あ〜それはVRで作ってます」「このチャットの返信はAIです」「あ〜その場面の背景はブルーシートなんで…」
「あのトップは死んだはずじゃ?」「ですね」「替え玉?」「イヤイヤ大丈夫です。CGやなんかで誤魔化せるから…替え玉なんか今どき使いませんよぉ〜」
って、私たちが見ているものは、果たして事実や真実なのだろうか?
2022-02-18 23:43:00
ホペタ叩くよ‼️
「居酒屋もカフェもクリスタル板越しの会話」って…
いい加減にして欲しい‼️
普段、報道や国家に「文句付けてひとたち」でもこういうことはいうこと聞くのんか…
こういう状態で、不自然極まりないオリンピック見てて、ジワジワとアホになっていく日本!
諸外国で起こってる「コロナはフェイクでした」「ごめんなさい宣言」や「不要な枠珍打たせた責任追及暴動」も知らないで…
カシコイ青少年の方がよくわかってるかもね!
大人たちしっかり「目を覚まして」くれ〜‼️
2022-02-18 03:04:00
茶番‼️
世界の流れは脱567茶番へ
ドイツでも‼️
しかし、日本、岸田総理この期に及んで枠珍3回目100万回目指すっておかしいだろう‼️どう考えても‼️ 567終息へ各国。だから枠珍全く必要なし‼️在庫破棄してください。
【ベルリン時事】ドイツ連邦政府と各州政府は16日、新型コロナウイルスの感染拡大が一部を除き「ピークを過ぎた」として、各種規制を3月20日にほぼ撤廃することで合意した。
【グラフ】新型コロナウイルス 世界各国の状況
ただ、屋内などでのマスク着用義務は、負担が軽く有効性が高いと考え当面存続。また、将来の感染拡大阻止のため、ワクチン義務化の導入方針も堅持する。
ショルツ首相は記者会見で「過去数週間と比べると、自信を持って前を向ける状況だ」と述べた。
規制は段階的に緩和する。まず第1段階として、小売店入店時にワクチン接種証明や陰性証明を求める措置などを近く撤廃。第2段階として3月4日からは、飲食店や大規模イベントなどでの規制も緩和し、3月20日からは、屋内や公共交通機関利用時のマスク着用義務を除き、規制をほぼ解除する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4163903de7827d40420e063d927a688815146ed/images/000
2022-02-16 18:04:00
I love you❣️
量子物理学の父といわれる「シュレディンガー」は「妻との愛を数学で証明しようとした」けれど、それは不可能であった。
しかし、「妻と見つめあったとき」それが一致したと感じた。
という逸話があるらしい!
以前わたしは「慈悲の法則を求めて」という本にも書いたけれど、
「理数と文学は一致する」また「理数という揺らがないように思う定理も扱うひとによって揺らぐ」つまり「理数も揺らぐ」ということでもある。
なぜなら「ひとが揺らぐ」からである。
「ひと」という「変数」は逃れられない。
「システム(構造)」が完璧でも「ヒューマン(人間)」がエラーを起こす可能性を考慮しなければならない。
けれど「システムや定理を考え出した」のもひとである。
《なぜ歴史の中で「ひと」は、理数を考え、文学を考えてきたのか?》
その自然現象が意味することはなんなのであろうか?
これを「仏教」でいえば「智慧と慈悲」という「知性、理性 & 感性、感情」のバランスが説かれている理由でもある。
《愛は勝つ》ということばが以前流行ったが「なんの根拠もない」と思える。
しかし、「知性と感性がちょうどいいバランスの上にある《愛》は勝つ」といえそうである。
また「なにに勝つのか」ということも、2人を基準とした「愛」は、
「何者にも脅かされない(おびやかされない)」ということであろう。
原子核のような状態かもしれない。
「無理に分裂をさせると大爆発を起こす」ほど、普通には引き裂けられない。
ここでいう「愛」は「慈悲」とも同じである。
「博愛も慈愛も何者にも脅かされない」といえるし、「智慧に基づく慈悲も脅かされない」といえる。
「わたし」は妻にそう感じているが、妻以外の「友愛」にもそれを感じている。
《理由はわからずとも、それはある》
いまだ「数字にも数学にも解決できない」というより「数学的にそれを考えた人がいない」というだけであろう。
《不安や怯えているひと》に言いたいのは、理数で証明できなくとも、「事実が証明している人間の深さを《慈愛》によって感じて欲しい」ということである。
「南无=認許」という定義もある。
あなたもわたしも《まず自然が認めている》から「人間愛」がはたらいて、
必ず認めてくれるひとはいる。
いや、すでに認められているのに気づいていないのかもしれない。
「人間不信」になる前に「自我不信」だといえる。
あなたの「自我を受け入れる《阿弥陀如来》というはたらきがある」が、これを「摂取不捨」という。
「そのままのあなたを尊い」といって「受け入れている《宇宙的はたらき》がある」ということである。
「自我のアタマであれこれ考えるより」自然に流されてみたらよくわかる。
《究極宇宙に愛されているのだ》
これほど「強い感覚を得られるように自然に流されてみよ」と「多くの先人」がいわれるのである。
「不安に怯える友へ」
わたしも「あなたを愛している」のである。
多くのひとに「I love you」と伝えていきたい❣️