インフォメーション(日々更新中)
2022-03-27 05:34:00
具体論‼️
GESARA法による時代になった時、けっきょく自己都合で社会を動かそうとか、聖書の使徒行伝にあるような「分かち与え合う」という社会をぶっ壊す人も出てくるかもしれない。
そういう意味においても、世界中の良き人は「バイブルの意味」を理解しておく必要があるのではないだろうか。
仏教は、そういう点、社会をどう生きるかという点において、方向性と具体論が抽象的すぎて、実践に繋がりにくいのが残念であると思う!
2022-03-21 19:41:00
記憶‼️
心理学でも、脳科学でも、「ひとの記憶はあいまい」であると言われる。
そういう意味で、警察の尋問などで「冤罪」も起こりやすい。
犯罪に巻き込まれて、とにかく「尋問」から逃れたくて、「やったかも知れません」といって、
これを裁判で「覆そう」としても、
じつは一般的な裁判が「テレビで見るような」検察と弁護士のやり取りがあるなんてことがない
ということを知らずに、裁判に臨んで「やったと言いましたが…」といった時点で有無を言わさずに、
「有罪確定」なんてことはザラにあるのだ!
日本は通常の場合には、「3分間裁判」といわれるように、
あらかじめ、検察と弁護士のやり取りがあって、回答は準備されている。
裁判官の前に出て、開口一番なにをいうかということが重視される。
まぁ記憶についてはこういった「たいそうなこと」以上に、
日常的に「無意識に上書き」するケースも多い。
「あなたが〇〇が欲しい」っていうから、プレゼントをこれにしたのに、
あんまり喜んでへん見たいやんか…
なんてことや、「あの時あなたが〇〇がいいっていったんやで…」とか、
トラブルのネタになるような記憶の上書きっていうのは結構あるものだ!
あなたの記憶はほんとうに間違いないか…
なにか、コミュニケーション上の問題があるときには、
そういう観点も必要ではないかと言えるだろう‼️
2022-03-21 03:38:00
奇跡を証明する‼️
【奇跡について】
バイブルに書かれていることは、とにかくまずはそのまま読むんです。
幻覚かもしれないとか、これは譬喩だといった解釈をしないで、とにかくそのまま読む!
そしてそのまま受け入れていると、それが書かれている通りだとわかって生きている次元が上がるタイミングがきます。
つまり「神」の存在を証明しようとすることと、「奇跡」を証明しようとすることが同じ次元にあって、その証明にとくに意味はなく、そのバイブルの教えを受け入れた時に、私がそういった、狭い人間の観点で生きている状態から、その奇跡を受け入れた自分に起こる次元の変化に意味があることが重要だとわかってくるものです!
2022-03-21 03:13:00
神の存在証明‼️
「存在を信じる」「存在確認できたら信じる」ってなんでもいいんですが、「私は存在」しますか?
「私はあらゆることを疑ってみたけれど、疑っている私の存在は疑えない」から故に我あり!
というのがデカルトの「我思う故に我あり」という意味なのだそう…
しかし、そもそも「私」って誰なんでしょう。
そして「存在する」ってどういう状態のことを言うのでしょう。
存在確認をしようがどうしようが、その確認になんの意味があるのでしょう…
「幽霊を見たから幽霊はいる」っといってみたところで、「そう言う幻覚」はあらゆるところであらゆる人が経験することなので、「見たから“いる”」は成立しません。
「幽霊らしきものが“心に住み着いている気がして”気持ちが落ち着かない」ということなら、心の迷いや問題として取り組めることになるでしょう。
そこに「幽霊の存在は必要ない」のです。
問題は落ち着かないという「あるひと」の状態にあるからです。
「神は存在する」と信じるから「バイブル」を大事にする。
というのではなく、「バイブル」に書かれていることが、私にいろいろな影響を与えてくれるので、「神は真実なんだと思って生きていく」という方が自然です。
バイブルの中には「信じがたいような奇跡」もありますが、バイブルを大事に生きていると、その奇跡がわかるようになるということだと言えるのです。
聖書が世界中に与えている現実があり、聖書を読むひとに大きな影響を与えるからこそ、真実と言えるのです。
「神」などの存在証明は必要はないのです!
かえって、余分な努力に無駄な時間を割いてしまうようなことになるでしょう!