インフォメーション(日々更新中)
2019-08-17 01:56:00
往生礼讃と讃美歌❣️
なんと‼️
とある「論理的」な住職さんから、
お西の「往生礼讃」の譜は「景教(中国にあったキリスト教)」の讃美歌の譜であるという研究がある。
それ以外は、「大原声明」だけど。。
とお聞きしました。
また、蓮如さんは「わかってて、あえて真宗をキリスト教(景教)で教学構築した」ともお聞きしました。
また、弥勒菩薩はそもそも「ゾロアスター教」の神であるのに、平気で「仏告弥勒。。」って読んでるけど、そういう背景を理解しているのかなぁ。。
といわれていましたが。。
私は、これらの研究について「認識」はありますが、「論文など」を確認してはいません。
しかし、さもありなんと思います。
もし異論のある方は論文をお探しになることをお勧めします。
そもそも「国を超え、時間を経て伝わってくる中」で、
いろんな思想が混じることを「当たり前」という前提で理解することこそ「当然」である。
と受け入れて、そのうえで、親鸞が「取捨選択」して「根本仏教に戻している」のが「教行証文類」であるからこそ、「教行証文類」は、親鸞のジーニアスな部分がより明確になるという評価があるのです❣️
また、だからこそ「仏教学」によって、「教行証文類」の内容が明確になっていくのです。
「仏教学のない真宗学」では、親鸞が「なにをどう取捨選択して根本仏教に戻しているか」理解できません‼️
2019-08-16 02:11:00
現生往生か来世か、どっちでもいいけど❣️
花火の以下のコメント、いい感じです❣️
以下「能美さんのFB」より
ーーー
花火は好きですが、終わった後の寂しさはたまりません。
けれど、私たちには終わりがない、仏さまとしてのいのちの始まりです。
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現生往生でも来世往生でも語れて、「じわっと」入りこむ表現です。
とにかく「仏さまのいのちの始まり」なんです❣️
2019-08-15 23:23:00
あはれといふもなかなか愚かなり‼️
「無宗教、無神論者」さま。
日本人の無神論者は「いい加減」すぎる。
無神論者を自負するなら、しょうもないおフダやお守りなんか必要ないではないか。。
また、クリスマスやキリスト教式結婚だの「初詣」などなど。。
とにかく日本人お得意のご都合やウワサレベルの低次元な思考に基づく「霊感だの祟りだの」。。
それは「宗教学」では「原始宗教」の部類に入る。
「神や仏が居るものか」というひとが認識理解している「神」や「仏」はどういう概念なのか?
果たして「仏像のような存在がウロウロしてる」と真実の仏教者が信じているとでも思っているのか。
「キリスト教」信者のすべてが、「マジマジ」実体的な神を聖書に書いてるように信じていると思っているのだろうか?
西洋哲学でいう「ロゴス」「イデア」だの「実存主義」だのという概念でも語り尽くせない。
真実の仏やキリストの神は「脳内データ」を複雑かつ「合理的智慧」をもってプログラムし、アルゴリズムにしたと言ってもいいような「高度な思考や論理」によって認識されるものである。
そういう深いレベルに意識(脳)が到達した時には、そのレベルのもの同士は理解し合えている。
ではその意識レベルは「脳」にのみ依存しているのかというとそうではない。
「存在も非存在も」すべてを「背景」にしている「ことばも絶える」という次元である。
誤解を恐れずにいうならば、「母にとっての主(神)」は「わたしのいう無碍光如来」と変わらないうえに、「滅を目前にして」半ボケのような状態の「母」はすでに「主(神)」に出会っていて、現実に存在している「母」はいわゆる「BODY」である。
そのように思うことは、「非道徳的」であるといわれるかもしれないが、「延命措置」をして欲しくないということも、多くのひとがいう「非道徳」に類する概念ではないのか‼️
「単純思考」で「宗教の深み」を知らずに、簡単に「無神論、無宗教」を自負するものこそ「愚か」である。
「あわれというも、なかなか愚かなり」である。
2019-08-14 01:40:00
なんだかいろいろあって。。
先月末(7月下旬)から、実家の母が滅するハズという状況であった。
母は、80で肺炎になって、医師からの「ほぼまもなく」という知らせを受けて、
義兄ともに急いで鳥取に帰った。
すると「日増しに元気復活」して、いったん義兄は東京に、わたしは滋賀に帰った。
そして7月末に「また」同様の連絡が入り、「義兄のみ」帰ったが、「また元気復活」‼️
わたしは「お参りや法要」で帰らなかったが、「義兄から医者に振り回されている」と感想を聞いた。
義兄は「とりあえずお盆に帰る」と母に告げて東京に帰った。
そして8月に入り、「大阪」にいる「義兄の妹(わたしにとって義妹)」が「53才」で急死‼️
こないだ、はじめての復活の際に「母の見舞いに来て」くれていたのに。。
突然の「義妹の滅」であった。
なんと「母は滅さず」「義妹」が滅した。
「無常なるかな」なにがどうなっても不思議はない‼️
急遽「義妹の葬儀」ということになった。
義妹の夫の実家がもともと広島で「本願寺派寺院の門徒」だったことから、
義妹の夫さんが「広島の住職を呼ぶ」ということになった。
こういうケースでは、「近隣(大阪)の同じ宗派のお寺」に依頼するということが多い中で、
地元を大事にしておられるんだなぁと、こんなアホでも「あたたかさ」を感じつつ。。
「まったく同じ宗派」だったから、
お勤めに「わたし」と「うちの副住職」も法中として加わることになり、
キチンとした御住職さんと3人でお勤めをした。
すると、そのお通夜の終わり頃に、「義兄に鳥取の病院」から「母がもうダメ」という連絡が
またまた入り、葬儀の後、義兄のみが「鳥取」へ向かい、わたしたちは「お参りがある」からとりあえず滋賀に帰った。
鳥取に到着した「義兄」から、「全然問題ない」という、ニッコリ写メ付きメールが届く。。
「またまた復活」‼️
お盆休みが終わるまで、義兄は鳥取に居るというけれど、
「日々記念撮影」(上は昨日の写メ)と「介護の感想」が義兄から送られてくる。
今日は見舞いに来てくれた「牧師さん」(母はルター派のクリスチャン)と、
「主の祈り」をしっかりとした声で「読んで」いたらしく、
義兄も「一緒に読んだ」とメールに書かれていた。
母は、義兄に「毎日一緒に読んで欲しい」と言っているらしいが、
義兄はクリスチャンになる予定は、いまのところない‼️
「キリストの復活」と「母の復活」(もちろん母は一度も滅してはいないが)
母はあと「何度復活する」のだろうか⁉️