インフォメーション(日々更新中)

2019-08-29 17:08:00

日本人は「井の中。。」に居る‼️

日本人は「なぜ」がないから、「ニュートリノがある」「そうなんやじゃあ研究しよう」という思考が基本ですが、海外は「ニュートリノがある」「なんで?」ってなると、説明できない部分が多くあるから、さらに「神」なるもののような「なにがどうさせているのか」という理由を含めて研究するんです。

 

地球より進化している「惑星」から量子レベルで「宇宙人」が来ていてもおかしくない。

というような思考をします。

「わからないことはわからない」というのが科学の姿勢で、科学的に「死んだらしまい」なんて簡単に「すべてわかってます」という前提はありません。

 

なぜ「生命体」が生まれたかさえわからないのに、なぜ神はいないと結論づけられるのでしょうか?

そんな「単純思考」しているから、日本人はエセ科学に踊らされて、くだらない宗教とまともな宗教の区別もつかず、くだらないエセ科学商法にもはめられてしまっているのです‼️

 

では「どの科学分野において、死んだらしまい」と結論づけているのでしょう?

「神はいない」は、そもそも科学ではなく「哲学」です。

2019-08-29 02:19:00

真如は人脈❣️

真如とユングの共時性❣️

 

共時性は、いわゆる「大志」より生じる。

真如は「最大の人脈」である。

 

このことがわからなければ、大きくなれない。

 

「地面にお金が落ちているのを探して歩いている」ような生き方では、「小さなことも動かず」どんどん「混乱に陥って」いく。

 

この事実について「なぜなのか」わからないひとへのヒントは、「見ている次元」から生まれてくるひとはどんなひとなのか。。考えてみてほしい‼️

 

このことは「体験」したものにしかわからないのかもしれない❣️

2019-08-28 16:23:00

死んだらしまい‼️という認識について。。

わたしの実母の兄は「歯医者」で「理論派」ではあるけれど、

90才でレベルの浅い、古典科学を脱してはいない。

昨日の母の死の投稿に「死んだらしまい」と書いてきたから、あえて以下のように返信をした‼️

 

(返信)

中村 忠文 さま

おじさんも死んでもしまいになりません(≧∀≦)

おじさんを認識している人の「素粒子が構成する認識レベルの次元に変化」します❣️

量子物理学のシュレディンガーに聞いてくださいませ‼️

 

日本人が「認識」している「宗教」という文言があらわす内容のレベルが、「宗教家」とともに低いのです。。

これを機に、なぜ母のところに「IQの高い牧師さん」は行っていたのかを探求してください。

医学の方が、よほど程度が低いので、現代の「ビジネス医師の資質」は良くないのです❣️

 

たとえば「賢い医師のDNAを受け継いでいるハズのいのちを、賢い宗教者が守って来た」

こういうことは、よくあります。

 

マザーテレサとダイアナ妃は、同じ日に亡くなりましたが、

そこに優劣を語れるでしょうか?

 

たんなる分野の違い、で済む話でしょうか?

世界中を動かしているのが、なぜ宗教なのか?

 

宗教がなければ「戦争はない」のか?

宗教が戦争を生んでいるのか?

宗教がこの程度に抑えているのか?

 

医学が宗教なしで発達できたのか?

 

宗教であれ哲学であれ、そういう思想から導き出される「深い認識世界」があるのとないのと、

科学のありようも大きく変わるということがわかりませんか?

 

政治家であれなんであれ、多くは「宗教をもち」

本来のマジメな、フリーメーソンがそれらを「友愛」で束ねて、各文化を尊重して、さらに人間にとって良き世界に導こうとしてきた。

 

IQと宗教の深さ高さは比例し、またIQの低さも比例する❣️

トップ科学者は、宗教性を見出す。

障がい者も「じつは知能が高い」という事実があります。

 

医学も宗教がなければ発達していない。

薬学も同じ。

「おじさんの時代の医師」と

「現代の医師」は同じモチベーションと言えるか?

 

「宗教によっていのちを生かそうとする」医師と「ビジネスとしていのちを生かそうとする医師」は同じモチベーションなのか?

 

どちらが「人間性」の深さを持っているか?

 

いま「医療技術やクスリが進化した」のは、ただの「ビジネス研究者」によるところなのか?

「ビジネス研究者」と「宗教を持つ研究者」のどちらを信じますか?

 

日本はそもそも、神道であれ、仏教であれ、社会そのものに「仏教などの思想が充分に入っている」のに知らないだけ。。

 

おじさん、いまだから書きますが、「おじさんの科学は、ニュートンレベルにも及ばず、宗教の世界的意味も知らず、フリーメーソン  という、それらを尊重する世界的「友愛グループ」の賢さも知らず、そのまま「死んで」ゴミになるおつもりでしょうか?

 

おじさんにとって、「しまい」という概念が、なにをもたらすのでしょう。

「自分が死んだらゴミと同じに扱え」ということなのでしょうか?

 

「わしの存在は《しまい》だから」忘れてゴミに放しとけ!

という意味なのですか?

 

90年では足りないようですねぇ❣️

 

とはいえ「おじさんの中に宗教的心情がないハズはない」から、「超無意識に神社に携わってきたハズ」たんなる「民族研究」だけでそこまで没頭できていなかったハズ。。

 

わたしを支援してくれたことのひとつひとつに「宗教的人格」がおじさんにあったから。。

人間性に「宗教性」は絡んでいる。

 

とくに宗教は「なにかを拝んだり、死後の世界をどうのこうのいってるのではない」

 

ものごしがいい人になるということでもない。

「深い認識世界の中でどこまでの次元を見出して生きているのか」という表面的なことや文章で語りつくせない世界観だから、単純に儀礼や見た目で「わかるほど浅い」世界ではなく、深い思慮の世界。

 

脳内データが量子コンピュータ以上に複雑にプログラムやアルゴリズムを作るようなものであり、

それはDNAにも影響しているぐらい歴史の長い世界観だから、簡単ではないのです。

 

いいかえれば単純に「死んだらしまいかどうか」なんてどうでもいいのです!

 

 

おじさんにはあと60年かけてこういうことを考えて欲しいと思います(≧∀≦)

 

2019-08-28 00:39:00

母(実家鳥取)が滅しました❣️イヤイヤ天国に行きました⁉️(どっちにしよか)

なんやんかんや言いつつ「実家の母」がさきほど2時間ぐらい前に入滅しました。

 

とはいえ、「主のもとに行った」「神のみもとに行った」「天国に行った」なんて、

クリスチャンのオカンが「どうなったか」を表現する文言はいろいろあるでしょう。。

ここで「浄土に往生した」とはいえません。

 

それは「宗教の違い」ではなく、「往生は現生」「往相還相因果同時」と論じる以上は、

「真如に至った」「入滅した」「如来になった」「滅度に至る」という方が「より適切な仏教表現」だからです。

 

ここで「阿弥陀如来」の《信心をいただいていない》から、「真如も入滅も如来でもない」という方もあるでしょう。

 

ここでもし、「世界人口の話し」でいけば。。。

世界人口77億人のなかで、日本が約1億として、その中の10%が真宗門徒として1000万人。

その中の「まともな念仏者」が1000人だとしたら、真宗僧侶門徒の0.0001%になる。

これは世界人口のおよそ0.0000001299%である。

 

という数字から「地球にいる人間」のおよそ0.0000001299%しか「真如も入滅も如来でもない」

ということになります。

 

そうすると、「みなさんやご家族」などの「大切なひと」は、この数字のなかにいま「いるかいないか?」ということは「重要なこと」になります。

また、「大切なひと以外」はどうでもいいのか?

 

この希少な数字に入るかどうか。。

「仏のみぞ知る」でいいのでしょうか?

さていかがでしょうか?

 

「仏のみぞ知る」「名号にお任せ」してるという表現をつかうと「任せている以上は確定表現できない」となるため、

「決定要期(けつじょうようご)」「往生(現生にせよ来世にせよ)」「滅度に至る」にはなりません。。

 

そういう意味においても「仏教学の根本的な学び」は重要ではないかと提言させていただきます❣️

 

ーーー

 

また、なんも泣く理由はないので、とりあえずすべきことをなす。。

しかないです(≧∀≦)❣️

 

なんせ、親族には葬儀の素人さんが多いし、今回は曹洞宗の寺がメインで、

牧師さんにも来てもらって、わたしたちも「色衣五条」で出勤しますから、

 

バラエティに富んでます(≧∀≦)❣️

 

2019-08-24 09:37:00

要門と真門‼️

化身土文類に出てくる「観経」を「要門」といい、

「阿弥陀経」を「真門」という。

 

これを、そういうもんだ!

と「鵜呑みにしてきた」のが、真宗学ですが、

本文の流れを通して読めば、

 

五念門の「礼拝、讃嘆、作願、観察、回向発願」と、

                                   ↓                                      ↓

五果門の「近門、大会衆門、宅門、屋門、薗林遊戯地門」

 

と対象としていることがよくわかります。

 

だから、如来の「讃嘆から大会」が集まり「利他」(薗林遊戯地門)の菩薩道として、歩むものになるのが仏教です❣️

 

「讃嘆」のなかで「《諸行を行じていてもいい》ですよ」というところから導き、「念仏」という「カナメ」に「大会」させるための法門が「要門」なんです。

 

という学習をすれば、なぜ「要門」というのかがわかります。

 

また、二十願について、なぜ「真門」なのかということについても、真実のサンスクリット語である「サイティア」は、

 

「実をむすぶ(果実という結果が出る)」という意味があるけれど、自力念仏では、結果「実を結ばない」から「真実の実を抜いて「真門」とされているというスジ(論)がわかれば、鵜呑みにせずとも理解ができます❣️

 

概して「こういう教えは、こういうもんだ」という権威的な教え方が多いので、学習の仕方という意味においても、疑問を持つ姿勢が、けっこう本質を知る上で重要であるということをお伝えしておきます‼️

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